「日本精神史(上)」:長谷川宏(講談社)

 

日本精神史(上)

日本精神史(上)

 

 

この本の第一章「三内丸山遺跡 ―巨大さに向かう共同意識」が他章と比べて魅力的なのは、(様々な古典作品の引用・批評を私自身の日本古典文化に対する知識の欠如ゆえに理解しきれていないという面もありつつ)、筆者の豊かな想像力から溢れ出る一文一文が、次第に物的証拠が増えていく時代を扱う次章以降の文体とは明らかに趣を異にするという点だろう。それは縄文時代という時代制約によって必要に迫られた。故に独自の魅力を放つこの章が、時代順序からして必然的に本の冒頭を飾ったことは、テーマである「精神」をより強く表しているような気がする。

 

特別史跡 三内丸山遺跡http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/

 

本州の北端に聳える三内丸山遺跡。直径と深さが2メートルの柱穴に高さ15メートルのクリの木の太い柱が6本埋め込まれている。

 

なぜ人々はこんな巨大建造物を作ろうとしたのだろうか。(p13)

 

そんなシンプルな問いから思索が始まる。

 

六本のクリの大木を見つけ出し、切り倒して柱に仕立て、幾何学的な形を保って地上高く聳え立たせ、横木でつないで安定した巨大な建造物を作り上げるという構想と、構想を実行に移そうとする意志と、意志を実現する行動は、いずれも個人の次元にとどまるものではなく、共同の構想であり、共同の意思であり、共同の行動だった。そして、構想と意思と行動が共同のものとなるためには、共有される建物のイメージが人々によって実現可能なものと考えられていなければならなかったし、人びとの意欲をかき立てる魅力的なものでなければならなかった。(p14 )

 

始まりはただのイメージに過ぎない。思いついた当人の抽象的な思考が現実化するためには様々な現実的ハードルが待ち構えている。そのひとつひとつに躓きながらも目標に向かっていくその意志が、彼らを巨大な建築へと駆り立てたのだろう。

 

 存在そのものが共同の構想の実現であり、共同の意思の対象化であるような建物は、仰ぎみる人びとに共同の力を実感させるに足る力強さを備えた、堂々たる建造物でなければならなかった。作り上げる過程で人びとの実感した共同の力と精神が、建物を見るたびにくりかえし想起できるようでなければならなかった。そういう存在として、六本柱の堅固な木組みは地上二十メートルの高さをもって聳えていた。(p16)

 

集団生活を営む人々の共同的な力量を自ら示そうとするような、ひとつの魅惑的な挑戦として人びとの目を輝かせたであろうこの構想は、意欲を掻き立てられるようなイメージを多くの人が共有し、それを持続させることで初めて計画的な事業として達成される。そのための構想は多くの縄文人にとって共感可能な普遍性を持っていながら、なおかつ刺激的な非日常性をも必要とされたことだろう。

 

自然のただなかで自然とともに生き、食も衣も住も自然の恵みに大きく依存する古代の人びとにとって、自然の持続こそが、あるいは持続する自然こそが、生活上の支えであった。古代人が山や川や湖や大木や大岩を神と崇める例は、洋の東西を問わず数限りないが、それら自然信仰の対象物は、まちがいなく持続する存在だった。自然の大きさと力強さは持続するものにこそ認められた。(p20)

 

移り変わることを常とする自然の中に生きる人間が見出す持続的なもの。「変化した」と感じるためにそこに「変化しないもの(実体)」を見出してしまう言語的な営み故か、持続的な巨大さが美と崇高に接続される。

 

縄文人たちは雲や山や森の織りなす自然の風景や、季節ごとに変化する花々や緑の樹々や、みずから制作した道具や装身具や土器にも美しさを見出していたろうが、集落の一角に群をぬいた大きさと力強さを備えて聳え立つ、単純明快にして堂々たる建造物に見てとれる美しさは、それらのどれともちがう格別の美しさだったにちがいない。自然と張り合う気概に満ち、人間の限りない可能性を告知するかに見える巨大建造物は、見る者の全身をゆさぶるような美しい物体だった。(p21)