「愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎」: 小宮正安

愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)

愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)

 

 

ヨーロッパ15世紀のルネサンス期から18世紀後半に至るまで、時の権力者の権威の象徴、カトリック教会の宗教的威光、はたまたプロテスタントの教育的配慮、

動機は違えどその根本にある抑えがたい人間の蒐集欲求が作りだした「Wunderkammer=不思議の部屋」。

 

世界中から蒐集された(西欧社会から見て)珍奇な品々を一つの部屋に詰め込み、見る者の受ける衝撃を高めるようにディスプレイされる。

 

ヴンダーカンマーは、広大な世界の情報すべてに開かれ、あらゆる情報の並存を許す空間だった。(p211)

 

ヨーロッパ各地、イスラーム世界、アフリカ大陸、中国、様々な地域から書物や工芸品、絵画、剥製が続々と送られてくる。それらは目立たない裏手の建物や複雑な経路を辿る隠し部屋に次々と運び込まれていった。

「世界や宇宙を再創造するという途方もない夢」(p211)のために設えられたカオスな空間はそのあまりのいかがわしさゆえに、後の時代には非科学的で前時代的な風潮として否定的に捉えられるようになってしまう。その発端が、活発な世界進出によってヨーロッパに流入する膨大な人・物・情報を分類展示する博物学者たちだった。

 

博物学者たちは~悟り始めていた。ヴンダーカンマーを支えてきた、オカルト的な要素を含んだ旧来の分類法では、もはや新しい事物に充分対応できないことを。 際限なくもたらされる莫大な情報は、彼らに新しい分類法の確立を促し、その過程で空想上の産物は入念に退けられ、まがい物はきっぱりと追放された。(pp204~205)

 

 そして博物学の分類法基づき価値があると判断された品のみが、専門的に細分化された博物館や美術館へと分類/収納されていったのであった。

 

 

そんな打ち捨てられ忘れ去られたかに見えたヴンダーカンマーに再び光が当たり始めるのは20世紀に入ってからである。あらゆる分野の細分化によって架橋することが困難な現代の閉塞感に、その分断以前に存在していたあらゆる知の総合としてのヴンダーカンマーが希望を与えてくれるのではないかと筆者は言う。

 

 こうでなければならないという、真面目だが排他的な近代の原理主義的姿勢から離れて、すべては混在してよいという、雑駁だがやわらかな姿勢へ。そこには、単なるノスタルジーや先祖返りではなく、寛容や共存、多様性といった、現代社会の未だ求めあぐねている価値観が生き生きと脈打っているのではないか。「ヴンダ―」という名のとおり、計り知れぬ驚異が、ヴンダーカンマーの奥底からは涸れることなく湧き出している。(p214)