「レンマ学 第2回 方法序説(2)」 中沢新一 群像2018年3月号 走り書き

 

 

 

群像 2018年 03 月号 [雑誌]

群像 2018年 03 月号 [雑誌]

 

 

【目次】

短いまとめ

長いまとめ

 1、縁起の思想

 2、大乗仏教

 3、「空」の成立

 4、華厳教

 

 

 短いまとめ

・レンマ学の基礎は大乗仏教における「縁起」であり「空」である。この世界において全ての事物/現象/存在は「空」であり、流れ去る中に一瞬現れるに過ぎない。

・ロゴス的知性で世界を表そうとしても、その個体を「停止した状態」として切りだすことしかできず、人間の認識における本来的な「運動性まで含めたありかた」を表すことはできない

・そこで究極のレンマ的知性が展開されている、大乗仏教によって完成させられた「華厳教」をまずは見ていく必要がある

 

長いまとめ

1、縁起の思想

 

大乗仏教が発見し開発した「「縁起の思想」は、現代の「レンマ学」にとっても、建設の基礎である」(p226)

・「縁起」:素朴な、ものごとはつながりあっているという古来の意味合いから、「全ての現象は縁起するゆえに、固定的な実体をもつものはなく、固執する対象もない」(p227)という意味合いへと深められていく

ブッダは人間の「苦」について、「十二支縁起」、相互につながる十二の項目によって説明した
(一)老死
(二)生 生によって老いて死ぬ
(三)有 有る=世界に存在することによって生きる
(四)取 自分の外部を自分の内部に取り入れることで有る=存在することができる
(五)愛 渇愛することで様々な外部を取ろうとする
(六)受 愛に伴う欲念、外界の刺激を受けとる
(七)触 受けとるためには触れねばならない
(八)六処 触れたものを受けとる感覚器官としての六処
(九)名色 六処で受けたものをまとめ上げる名色
(十)識 「名色が識に組織立てられ、統一されて認識作用がつくられる」
(p227)
(十一)行 認識が外界へと働きかける様が行(行為)となる
(十二)無明 このすべての縁起が無明によって動かされている


ブッダは、この縁起の過程を見直し、逆向きに遡行することで縁起のつながりを解くことができると考えた
・この地点が他の多くの仏教思想同様、「レンマ学」の出発点となる

 

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2、大乗仏教

 

 仏教において、

「縁起の法は、人類によって認識されようがされまいが、宇宙を貫いて作動し続けている」「人間の思考や思惑を超えた、絶対的客観であると言える」(p228)

→この法を理解できないことで無明が働いて十二支縁起が作動し「苦」を生み出す

→現代のわれわれにとって世界の主流は、「ロゴス的機構を備えた言語」(p229)によって世界を認識し、世界を構成している

→だが、ロゴス的でない縁起を理解するためにロゴス的な言語では不十分

大乗仏教における「プラジュニャー(般若)」という知性のありかたが縁起的知性を示している

 ブッダ入滅から五百年ほどかかって、大乗仏教はこのプラジュニャーの内部構造を明らかにし、それをもって縁起法で動き変化している世界の実相をとらえるための論理を開発した。それが「縁起の論理」であり、その根底ではロゴスと異なる仕組みをもった知性が活動している。ロゴスと異なるその知性の機構の特徴を、ここでは「レンマ」と呼ぶことにする。すなわちプラジュニャーはレンマ的な知性の仕組みを備えているのである。(229)

 

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3、「空」の成立

 

アリスとテレスの影響下にあるいわゆる西洋的な論理

(一)肯定(二)否定

この2種から同一率、矛盾率、排中律を導き現代にいたる

 

古代インドの論理

(一)肯定(二)否定

(三)否定でもなく肯定でもない

(四)肯定にして否定

ナーガールジュナは(三)の「いわゆる「両否の論理」」(p231)を使い「空」の論理を先鋭化させる

→あらゆる事物はネットワークの一部であり明確な「それ自体」が存在しない、事物が絶えず変わりゆく世界に一瞬現れるかりそめの現象、という「空」の論理

→「それによって縁起の論理が、明確なレンマの構造をもつ体系として確立されたのである」(p230)

 

縁起論では「(三)否定でもなく肯定でもない両者の「中間」こそが、世界の実相に同調できる論理であることを主張する(p231)

 

 

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4、華厳教

 

大乗仏教のレンマ的論理のもっとも完成した形態をしめす華厳思想の本質を、正確に理解しておく必要がある(p234)

 

大乗仏教において完成された「華厳教」「華厳思想」とは、

→「空論」と「唯識論」を統合したもの

→「空論」:すべては「空」である

 「唯識論」:充実した「空」からすべては生まれる、「空は充実した力を内蔵する時空の原基(スパチウム)であり、諸現象はその空から生起する」(p233)

 

『華厳教』は仏教の原点である「十二支縁起」を「法界縁起」の思想にまで高めた。多層をなす存在世界(法界)の全領域にわたって、あらゆる種類の事物が相依関係によってつながりあい動き変化している様相を描き出すことのできる究極のレンマ的論理が、そこには展開されている。(p233)

 

 

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今後の展開は、しばらくは華厳教の思想体系について説明がなされるとし、今回の最後に一つ注意点が述べられる

 

・ヨーロッパ哲学における「否定神学」の論理は、ナーガールジュナがレンマ的な知性を表現として用いた「否定の論理」とは違う

・「否定神学」:超越者である神をロゴス的な知性(言葉)で表わそうとすると、その原理である「切り分ける」機能ゆえに、神を限定的にしか表現できない。そのため、神は「むしろ、どのようでないか」という言説によって示すことができる

→人間の心を超越していく神を表現するための技法としての「否定神学

 

・「否定の論理」:超越的な神を必要としない大乗仏教の縁起において、縁起的につながり合う世界を「直観によって把握する(ギリシャ語でいうところの「レンマする」)能力」(p235)の開発が目指されてきた

→そこで、ロゴス的な言説を「~でない」と否定することでレンマ的知性の肯定につなげようとした

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今回も大変面白く、まとめようとしたらこんなにも長く、構成もあてずっぽう・・・。

次回からついていけるか不安でいっぱいだけれども、ひとまずは来月を楽しみにします。