「レンマ学 第3回 レンマ学としての『華厳教』」 中沢新一 群像2018年4月号 走り書き

 

 

群像 2018年 04 月号 [雑誌]

群像 2018年 04 月号 [雑誌]

 

 

 

 

華厳経』において目指されていること、 それは

多くの仏典は、対機説法のやり方を通じて、それを一種の「ロゴス的理性批判」として展開するのであるが、この『華厳経』にかぎっては、レンマ的知性そのものを純粋形態として取り出すという、前代未聞な試みがなされている。 (p254)

 である。

過去/現在/未来に秩序立てられる時間意識や、極小/極大/遠い/近いという広がりを持つ空間意識に拠らないレンマ的知性を「純粋形態」のまま「思弁的に取り出すこと」(p252)。

 

その「形態」とはいったいどのようなものだろうか?

 

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法界縁起の世界

 

華厳経』の描き出す世界像は「法界演技」と呼ばれる。

ブッダが人間の弟子たちに向かって説いた「十二支縁起」では、生命の誕生やそれが体験する苦しみや無明や死についてがきわめて現実的に語られている。それにたいしてこの「法界縁起」では、生命体に内蔵されているレンマ的=縁起的活動そのものを、あらゆる手段を用いて描き出すことが主題となっている (p254)

 

「十二支縁起」がロゴス的知性を用いて「ロゴス的知性批判」を行うのに対し、「法界縁起」においては純粋レンマ的知性を取り出し、それを無限の「楼閣」の幾何学的表象によって表現する。

 

宇宙的な広がりを持つ大楼閣、精妙荘厳に飾られたその内部には無限の楼閣が包摂され、個々の楼閣は固有の響を発しながらその独自性を有している。その全体は調和を保ちながらも各々の楼閣は一切の妨げを受けることなく相互にコミュニケーションをしている。

そうした「法界縁起」においては、

一つの楼閣の中に立っていると、他のすべての楼閣の中にも自分の姿を見ることになる。どんなに微細な楼閣に起きる出来事も、すべての楼閣に瞬時に伝わっていき、楼閣の集合のそのまた集合へと、この出来事の情報は知られていくことになる。(p255)

 

そして相互コミュニケーションの結果、個々の響が影響し合い生まれた「ゆらぎ」は、楼閣内部に「微妙に構造を変化させても、全体の調和は保たれていく。」(p255)

 

このような法界縁起を説法によって伝えていく菩薩は、そのレンマ的な知性のあり方をロゴス的な言語に還元する「翻訳」を迫られることになる。

 

人間の言語は一定の「句構造」を規則/不規則に並べる「線型性」言語であるが、当然レンマ的知性においては「非線形的で、句構造をもたない」。無限の「楼閣」の広がりを維持したまま、「人間の理解する言語の構造に到達するまで」「説法という形を通して真理の伝達がおこなわれる」ためには、幾度もの「翻訳」が必要となる。(p256)

 

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人間の可能性としての菩薩

 

 このような法界に、たくさんの菩薩が住んでいる。菩薩は人間であるから、わたしたちと同じ感覚器官や脳組織を持ち、線形的な句構造を深層構造とする言語を使って経験を秩序だて、それを使って他の人間とコミュニケーションしている存在である。(p257)

 

布施/戒律の遵守/忍辱/精進/禅定/プラジュニャー(智慧)の六波羅蜜を備えた者すなわち菩薩を理想と掲げる大乗仏教によって示されるのは、「心(脳)」の中においてレンマ的知性の活動を表面に引き出して活動させる可能性」であり、「人間は誰でも菩薩となる可能性が宿されていることになる」。(p258)

 

 

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 つながりの言語

 

レンマ的知性はロゴス的知性を否定することなくその拡張系である。「むしろロゴス的知性の得た知見の数々の意味を補完し豊かにすることができるのである」。(p259)

 

その探求は心の原基的実態の様態である「法界のスパチウム(原空間spatium)」と呼ばれる。

法界スパチウムの内部では〜すべてのものが相互相関し〜語と語の隠喩的・換喩的結合が起こるようになる。そうするとそれまでの指示機能中心であった言語が「表現機能」を持つようになる。この表現機能を備えた言語を使って世界をあらわすと、〜世界は全体のつながりとして捉えられるようになる。(p260)

そのつながりが「感情を含んだ表現」や「芸術的なもの」を生み出していき(p260)、それらを含めた総合的な「真の人間学を創り出すためには、レンマ的=縁起論的な原理によって作動する法界スパチウムの実在を前提にする必要がある」。(p261)

昨今の人工知能の発展が逆照射する人間的知性の特異性は、法界スパチウム抜きに語り得ないと言うこともできるだろう。

 

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短いまとめ

 

 法界縁起で例えられた、「すべてが影響し合っている世界」のイメージを頼りに、指示機能が中心の言語使用から表現機能が中心のそれへ。切り分けるロゴス的世界からつながりあうレンマ的世界へ。そこでは芸術や詩といった「感情を含んだ表現」が可能となり、ロゴス的言語使用のみを凝縮した現代の最新AIでは未だ踏み込むことのできない領域と言える。