映画『マルクス・エンゲルス』 感想

www.hark3.com

こちらを見てきた。

 

感想

ーーーーーーーーーー

 

世界各所であらゆるコミュニティーの分裂危機が叫ばれる昨今、今日この映画館を満たしているマジョリティ60~70代の方々。きっと彼ら/彼女らは革命の可能性を、世界の変革可能性を夢見ることができた最後の世代なのではなかろうか。それは「分裂」が不可避の現状だと諦観する前段階の、「団結」を夢見ることが可能だった最後の世代でもあるのだろう。

 

映画の中にも様々な分裂と団結が表れては消えていく。

 

世界のプロレタリアートに団結を呼びかけるマルクスエンゲルスは、お互いが友情で堅く結ばれ、彼らと彼ら自身との家族のつながりがあり、講演や執筆を通じて労働者階級と団結してゆく。

 

その過程では理想を述べるプルードンら思想家を断固批判もする。

「人類みな兄弟、愛が世界を救う」という時にあの資本家たちも兄弟なのか?救う対象なのか?

それは違う。彼らはプロレタリアートである我々によって乗り越えられねばならない。コミュニスト党として団結しなければならない。

そう宣言され沸き立つ会場を後にする理想主義者たち。団結への道は分裂の道でもあり、非賛同者も生み出していく。

 

国外追放され金がなく就職もままならないマルクスと、自身がブルジョワジーであることで生まれる葛藤を抱えるエンゲルスコミュニスト党宣言から20世紀にかけての影響力から想像するのは難しい、彼ら自身の人間味、青年らしさ、苦悩。その描写は強く見る者を惹きつける。

 

 

翻って現代。

 

20世紀半ばまで見られていた共産主義革命への夢はもはやない。

資本制が社会の隅々に浸潤することは、私たちの生活から資本制を分けること(批判すること)の困難さをますます高める一方で、積み重ねられてきた批判理論は顧みられることがない。

かつて確実に存在したであろう団結への強固なまでの欲求やその可能性も同様に解体が進んでいる。

 

そんな分裂の現代に生まれ育ってしまった身からこの映画を見ていると、「かつてあり今はない」ノスタルジアを感じずにはいられず、どこか寂しいような気持ちになってしまった。

 

エンドロールが流れ終わりスクリーンが閉じられようとしたその時、ひとりの観客が拍手をした。おそらくマルクス青年であったであろうその人の心には、かつてこの世界の革命を夢見るだけの熱狂的な連帯の記憶と、「世界を解釈するだけ」でないマルクスの「本物」の哲学の誕生過程を見ることで惹起された高揚感が湧きあがったのだろう。

 

けれども、その拍手に続く人はあらわれることなく、すぐにその音もしぼんでいってしまった。失われてしまった団結へのノスタルジアを想起するにはもうそれで十分だった。