2018年7月に読んだ本

  

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 

「子どもの心はタブラ・ラサ」=「子どもの成長親次第」という人類に永らく信仰されてきた通念が、あきらかに間違っている証拠が科学諸分野から頻出しているにも関わらず、その諸分野の専門家たちが未だに抜け出すことができない場であり続けている、ということを声高に主張し多くの論争を生んだ本書。

基本的に子どもは、遺伝子によって規定される。その遺伝子は親の一部を受け取りつつ一部は受け取らない。「親の影響を受けた部分と受けない部分がある遺伝子」によって規定された子どもは「親(的な)大人の庇護なしには生きられない」という意味で親に規定されている。そして移民の子どもが親の話す言語と近所の子どもたちが話す言語のバイリンガルになることから、周囲の環境に影響されている。等々。

 

要は、人が一人育つ間に遭遇する計測がほぼ不可能な変数の数々が成長に大きく寄与している、というある意味常識的な落としどころ。難しいのは、人はこと子育てに関してはそういう常識的な落としどころでは納得しない、というところにこそあるんだろうな、とかなんとか思ったりする。

 

 

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 

 

集団社会化説ー子どもたちは自分自身を仲間たちで形成される集団の一員とみなし、自らの行動をその集団の規範に合わせて調整する、さらにその集団は自らの集団を別の集団と対比させた上で、その別の集団とは異なる規範を採用する(p152)

 

生物学は運命論ではない。遺伝が人の特徴を決定づける一要因であるからといって、それが変更不可能なわけではない。その方法さえ見いだせばいいのだ。いまだにそれができないでいるのは、心理学が子育て神話に傾倒してきたことが障害となっているからかもしれない。(p256)

 

 

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

 

 

資本主義的スピード感と理性の合理的使用が組み合わされた現代の社会・政治・消費環境は、有用感・正当感・おトク感のある言説をとっても合理的に拡大再生産し続けることで、近代合理主義が築き上げた体系を情動が覆い尽くしている様が批判されている。

 

人びとは敵と味方を分ける本能に駆動され、真実よりも「真実っぽい」演説家の政治家を支持し、大きなキャップに洗剤を必要以上に投入してしまう。

合理的に非合理的な直観・情動・感情に訴えることが現代の支配的な勝ちパターンであることは本書の出版後に続々と起きる非合理的な政治的結果がいみじくも証明してしまっている。

 

その対処法を提案するのは容易なことではないが、ひとまず言えるのは、ありきたりではあるが、「ファスト・ポリティクス」から「スロー・ポリティクス」への舵を切ることだろう。(p405)

 

ただ、熟慮が大切というスローガンに懐古するよりも、「スロー・ポリティクス」へ移行するインセンティブをどのように民主主義を構成する各主体に配布できるか、という方向性でしか道筋は付けられないのではないかと個人的には考えてしまう今日このごろ。

 

 

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (下) (NHKブックス)

 

 

 

 

雪片曲線論 (中公文庫)

雪片曲線論 (中公文庫)

 

 

野ウサギの走り (中公文庫)

野ウサギの走り (中公文庫)

 

 

 

虹の理論 (講談社文芸文庫)

虹の理論 (講談社文芸文庫)

 

 

 

 新たに読みたい本がひたすら増えた。

本書の目指す地点は

まず、わかっていることとわかっていないことを区別したい。できればさらに、わかっていると思っていることのなかから本当はわかっていないことを、また、わからないと思っていることのなかから本当はわかっているはずのことを取り出したい(p7)

というあたりだろう。

 

こんど全体的なまとめをつくろうとは思うけれど取り急ぎ言えば、

認知心理学における認知バイアス

行動経済学における二重過程理論

・進化生物学における「利己的な遺伝子

の知見を加味した人間像への影響は人々が思っているよりラディカルですよ~

というもの。

 

 

 熊野さんのインタビュー目当てに購入。