2018年10月に読んだ本

 

 

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版

 

 

著者のちょっとした体験や思いつきから生まれる数々の実験が示す「不合理な」ふるまいをする人々。

「なぜ我々は”無料”に弱いのか」

「なぜプレゼントのお返しが現金ではいけないのか」

「なぜ人は自分の感情を批判するのでなく後押しするために理性を使うのか。」

行動経済学がどのような視点で疑問を提起し、検証されたデータを応用するのか、そんな一連の思考の流れを各章ごとに展開していて楽しく読める。

 

経済学は、人がどのように行動すべきかではなく、実際にどのように行動するかにもとづいているほうがはるかに理にかなっているのではないだろうか。「はじめに」で述べたように、この素朴な考えが行動経済学の基礎になっている。人がいつも合理的に行動するわけではなく、誤った決断をすることも多いという(かなり直観的な)考えに着目した、新しい学問分野だ。(P406) 

 

 

フィルターバブル──インターネットが隠していること (ハヤカワ文庫NF)

フィルターバブル──インターネットが隠していること (ハヤカワ文庫NF)

 

 

フィルターバブルの中に入るというのは、自分が目にする選択肢をその会社に選ばせることを意味する。運命の手綱を握っているつもりが、パーソナライゼーションによっていつのまにか、過去のクリックが今後目にするものを決める情報の決定論のような状況になってしまい、ただただ、過去と同じことをくり返すだけになってしまう。(p32)

 

他人の視点から物事を見られなければ民主主義は成立しないというのに、我々は泡(バブル)に囲まれ、自分の周囲しか見えなくなりつつある。事実が共有されなければ民主主義は成立しないというのに、異なる平行世界が一人ひとりに提示されるようになりつつある。(p18)

 

 

 

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

出版社と書店はいかにして消えていくか―近代出版流通システムの終焉

 

 

90年代後半に執筆された本書の第2章「近代出版流通システムの誕生・成長・衰退」において、79年刊行の『出版流通改善試論』という著作が引用されている。

 

戦後三十年を経た出版業界は法定再販という政府の保護のもとに、大出版社はマスプロ・マスセールの類似企画を追い求め、中小出版社の少部数書籍はその流れの中に埋没し、取次はシェアの拡大に明け暮れ、書店はベストセラー商品の獲得に奔走し、読者は欲しい本がないと嘆き、総体として冒険の欠落した時代であった。(p91)

 

80年代の郊外型大型書店の出店の成功がマスプロ・マスセール傾向を一層加速させ、70年代から既に制度疲労を起こしつつあった出版業界を潤わせ、大型店の出店における規制緩和とバブル的投資を呼び込むことになる。

90年代に入ると、「書店バブルの崩壊が始まり時限再販の導入が起きている。つまり二〇年前の状況と似ているし、先送りにしてきたツケが全部回ってきている」(p90)と指摘されるほど問題が回帰してくる。

 

2018年現在の視点から見ると、40年前に指摘され、20年前にその指摘の正しさがより具体的に露見していると認識され、それ以来一切の改善改革なく20年が経過しているということだろう。

 

 

うたの風景―古典と現在

うたの風景―古典と現在

 

 

私の現代詩入門―むずかしくない詩の話 (詩の森文庫 (104))

私の現代詩入門―むずかしくない詩の話 (詩の森文庫 (104))

 

 

 

俳句短歌詩歌系を勉強中。

 

 

ノモレ

ノモレ

 

 知人に勧められて読んでみた。

 

南米、ペルーの熱帯雨林、ここには教育を受けスペイン語を理解し都市部の物資を日々の生活に取り入れる先住民と、一切の外界とコミュニケーションを取らない先住民(「イゾラド」と呼ばれている)が暮らしている。

双方の居住地区の近さから発生する予期せぬ接触が引き起こす事件・事故、現場を知らない中央政府の「先住民保護法」によって実施される無内容な対応策、都市で教育を受けスペイン語を話すイネ族のロメウはまさに多くの「はざま」に立たされることになる。

またイネ族の言い伝えに、100年ほど前に生き別れたイネ族の同士の子孫が森で生き延びておりその仲間(ノモレ)を探しだしたい、というものがある。

 

ロメウは幾度かの接触から、最近事件を引き起こした「イゾラド」達が実はイネ族と同じ言語を持つ「ノモレ」、100年前に生き別れた仲間の子孫ではないか、との思いをしだいに強くしていく。

 

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この本はノンフィクションでありながら、著者の視点を(ほとんど)入れない物語風の文体になっている。ロメウを基本視点としながら、「ノモレ」や過去のイネ族等々と語り手の移り変わりも見せる。それは唐突に、時に一つのパラグラフで変化してしまうこともあり、流れが途切れるほどではないにしても、丁寧さを犠牲にした勢い重視の姿勢と取られかねない。内容が魅力的であるだけに、全体の構成をより適切に提示できる編集がなされなかったのが悔やまれる。

 

 

ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争

ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争

 

 

「ただ一人の国民兵士の命の保護が、数え切れない数の外国人市民を見殺しにすることを正当化する」、それが「「倫理」という名のもとでなされているのである」。(pp156−157)

 

 ドローン・テクノロジーが孕む/付随する意味・情報・未来を多面的に考察する一つの「試論」として、とっても示唆的。

 

明日の前に

明日の前に

 

 「生前説」としてとらえられがちなカントの超越論的観念論を、現代的な生物学的知見を生かした「後成説」的観点から解釈しなおすことで現代におけるカント哲学の有用さをまさしく「批判 critik」する、未来を見据えた論考。

 

 

AI原論 神の支配と人間の自由 (講談社選書メチエ)

AI原論 神の支配と人間の自由 (講談社選書メチエ)

 

読みやすい文体でとても啓蒙的な一書。以下はメモ。

・生命体一般

    →自律性、責任が求められる

 

・人工物(非生命体)

    →他律性、責任が求められない

 

・自律しているように見える第3次AI(深層学習+シンギュラリティ仮説の適用)

    →擬似的自律性、将来的に責任問題が顕在化

 

第3次AIの特徴:①深層学習と②シンギュラリティ仮説

 ①→思弁的実在論メイヤスーにおける「潜勢力」に対応、過去しか見ない

本来生物は「潜在性」を持ち未来を見据える

②→ユダヤキリスト教一神教という宗教的背景で芽生えたトランスヒューマニズムが仮説の曖昧さを補完している