『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』:ピーター・ゴドフリー・スミス (読書メモ)

 

 

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

 

 

1 違う道筋で進化した「心」との出会い


①哺乳類(私たち)と頭足類(タコ)が分岐したのは6億年前


②「頭足類は、軟体動物の一種であり、その意味ではハマグリやカタツムリに近い。にもかかわらず、大規模な神経系を進化させた。そのため生態は、他の無脊椎動物とは大きく異なっている。私たち人類とはまったく違う筋道を通って進化してきたにもかかわらず、高度に発達した神経系を持つにいたったのだ」(p9)


③「頭足類を見ていると、「心がある」と感じられる。心が通じ合ったように思えることもある。〜私たちがそうなれるのは、進化が、まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくったからだ。頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命体に出会うのに最も近い体験だろう」(p10)

 


2 動物の歴史


①細胞間の伝達が多細胞生物を「成り立」たせ、隣り合う細胞だけでなく、「一部の特殊な細胞間で、ある特定の物質がやりとりされ〜、この特殊な細胞が一箇所に集まって、特異な情報伝達を行う電気化学的信号を飛び交わす「脳」と呼ばれる器官になっている」(p24)


②周囲を知覚する感覚器と、その知覚をもとに行動する運動器官、その2つをつなぐのが神経系である
→「神経系は行動を調整するだけではなく、行動そのものを生み出してもいる。」(p27)


③「放射相称動物」:上下の区別はあっても左右の区別はないクラゲのような生物


④「左右相称動物」:前後左右の区別がある人間、魚、タコ、アリ、ミミズなどの生物(p40)


カンブリア爆発で、「「食う、食われる」の関係」(p39)が大量に出現し、爪や触覚など「他の動物の存在を抜きにしては、それを備えている理由が説明しにくい」(p42)器官が発達した。「進化のフィードバック」
→「この時点以降、「心」は他の動物の心との関わり合いの中で進化した」(p42)

 

 

3 いたずらと創意工夫


①「頭足類は、海底から水中へと浮かび上がることで、〜自らが捕食者となる可能性を手にした」(p53)
→海底を「這うための足は無用」となり、「漏斗と呼ばれる器官から水を勢いよく吹き出すことで前進する」「ジョットエンジン」を手に入れた。そして「這うことから解放された足は、物をつかみ、操ることに使えるようになった」(p53)


②頭足類は次第に殻を捨て始める
→「恐竜の時代の少し前〜殻が小さくなる、あるいは体内に吸収されるということが起きた」。「攻撃に対しては弱くなるが、その代わりに行動の自由度は高まる。一種の賭けであったが、賭けに挑む物が多くいた」(p55)


③タコがわずかに持つ固い器官のうち最大のものは目と口であり、「直径が眼球よりも大きければ、かなり小さい穴でも通り抜けることができる」(p56)


④ヒトのニューロン:約1000億個、タコのニューロン:約5億個≒犬に近い(p59)
→ただ、ニューロンの絶対数だけでなく、身体と脳容量の比率や複雑性の差など、「賢さ」の基準は様々ある


脊椎動物とタコは脳の基本構造が大きく異なる
→「タコの場合持っている〜ニューロンの多くは腕の中にある」(p61)


⑥「脊索動物の神経系を中央集権型だとすると、頭足類の神経系はそれよりも分散型だと言える」(p80)
→「腕にあるニューロンの数は、合計すると脳にある数の二倍近くになる」(p81)


⑦「タコの神経系は部分ごとに機能する場合と、脳の指令の下、中央集権的に機能する場合の混合のようなかたちで働いているらしい」(p82)


⑧心理学における「身体化された認知」に当てはまらないタコ(p90-93)

 

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⑨「タコはまず、好奇心が強い。そして順応性がある。冒険心があり、一方で日和見主義なところもある。そのような動物が、果たしてどのような進化の歴史を経て現れたのか」(p77)


⑩「頭足類は、イカの一部を例外として、「社会的でない」知性を獲得した動物と考えることができ〜そして、頭足類の中でもタコは、複雑な、そして特異な単独行動を進化させる道を歩んできた」(p79)

 

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⑪タコには個体差があり、「ラットやハトなどに比べてはるかに、自分でこうしようという考えを強く持っているようである。〜タコの行動にはどうも、「いたずら」の要素が〜、また〜狡猾な面もあるようなのだ」(p65)
→「電球に勢いよく水を吹き付けて」「電源をショートさせることを学習したタコを飼育していると、コストがあまりにも高くなるから」「水族館のタコをやむなく野生に返した」(p65,66)


⑫「研究所のスタッフの一人が、一匹のタコに嫌われていた〜。〜その理由はよくわからない。とにかくその人が水槽のそばの通路を歩くと、必ず二リットルくらいの量の水を首の後ろあたりに浴びせかけられた」(p67)


⑬同じユニフォームを着た人間「一人ひとりを見分けられるということが実験によって確かめられた」(p67)


⑭「うれしくない食物」を与えられ続けたタコは、食べ物を与えた彼女「のほうを見ながら、イカのかけらを水の流れ出るところに向かって捨てた」(p68)


⑮「捕らえられたタコが〜、私が見た限りでは、逃げようとするのは、必ず、人間が見ていない時なのだ」(p68)


⑯「一〇年ほど前からは、タコが“名誉脊椎動物”として扱われることが増えた。特にEU諸国では、実験において脊椎動物並みに規制を守って取り扱われることが増えている」(p70)

 

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⑰「現在も太平洋に生息しているオウムガイは、約二億年前からほとんど変化していない。〜浅い海と深海の間を上下するが、上昇、下降がどういうタイミングで行われるのかは、現在研究中でよくわかっていない」(p55)→もしかして自由意志を持っているかも??と思ってしまう


⑱「タコには余計なことをするだけの、内面の能力の余剰があるようだ」(p88)

 

 

4 ホワイトノイズから意識へ

 

①「神経系が複雑になってはじめて主観的経験が生じたのではなく、もともと、単純な形態の主観的経験があって、それが神経系が複雑になるにつれて大きく変化していった、そう考えるのが自然なように思える」(p116)
著者は「意識」よりも「主観的経験」という概念を、より根源的・原初的な意味での「意識」を指す言葉として選択する。
「意識」はあまりに私たち人間の状態を想定してしまうため、人間とは別系統で進化した生物に対して「意識」は当てはめ難い(例:p 96「痛み」についての記述)
一方「主観的経験」とは、「自分の存在を自分で感じること」(p95)であり、「「自分」と「外界」との区別」(p102)を持つことである。
あらゆる生物に「わずかであっても主観的経験はある」(p97)とする著者の立場をまとめれば、手垢のついた「意識」を相対化し、より生物一般に普遍性を持つ(と想定される)「主観的経験」を基礎に据えることで、「フィードバック」(p97)、「因果関係の弧」(p99)、「知覚の恒常性」(p102)、「統合」(p103)といったキーワードとともに、まったく別の「知性」を持つ生物を思考する術を探る試み、と言えるだろう。



②スタニスラフ・ドゥアンヌ教授はサブリミナル効果を起こすような実験から、「無意識のうちにできることと、意識的にしかできないことがあるのではないか」と考える。(p110,111)
無意識は習慣的な行動に、意識的な時には新規な状況に対応できる。その分かれ目は、継起する現象なり体験なりの時間差が瞬間的であれば無意識の、一定以上の間隔があると意識の担当となる。
「私は「主観的経験」という言葉に少し広い意味を持たせ〜、「意識」はそれに含まれるがより狭いカテゴリーとして用いている。動物が「感じている」ことのすべてが「意識的」である必要はない、ということだ」(p113)

主観的経験の原始的な形態として著者は「痛み」をあげる。(p114)
生理学者デレク・ダントンの言葉を借りて「根源的感情」と言うこともできる。
痛みを伴う(と人間が想像してしまう)身体の損傷を避けようとする多くの生物は、哺乳類や鳥類以外でも観察され、それは哺乳類や鳥類以外の生物に「意識」があるとは想定し難くとも「主観的経験」はあるように思うことはできる。
では「主観的経験」はいつ生まれたのか?
著者の仮説→「主観的経験は、動物の身体というシステムの通常の運転の中からは生じなかったのではないか。」身体の内側外側を問わず、「看過できない問題が起きたことが発端だったのではないだろうか」(p118)
多様な生物が生息していたカンブリア紀において、「根源的感情」を引き起こす賑やかな外界の環境が「主観的経験」の起源ではないだろうか。

 

④「知覚の恒常性」をもつ→一つの物体を近づけたり遠ざけたりしても同一であると認識できる(p121,122)
方向間隔→巣穴から出て「円を描くような経路」で「巣穴に戻ってくる」(p123)

「タコの置かれている状況はいわばハイブリッドだ。タコにとって、腕はそれぞれが「自己」の一部だと言える。目的を持って動かし、外界の事物の操作に使うことができるからだ。しかし、身体全体を集中制御する脳から見れば、腕はどれも部分的には「他者」ということになる。自分が指令していない動きを勝手にすることもあるからだ」(p126)
→だがこのような身体の一部が「他者」であるという想定すら、「私たちの脳が私たちにとって中心をなす存在であるのと同じく、タコの脳もタコの中心をなしているという前提での話になる。おそらくこの前提が誤りなのだろうと思う」(p127)

 

 

5 色をつくる


①「頭足類は一般に(すべてではないが、その多くが)身体の色を変える能力に長けている」(p132)


②「彼ら[ジャイアント・カトルフィッシュ]と人間との交流を「交流」という言葉で表現するのはふさわしくないとも思える。彼らの態度は簡単に言えば「無関心」ということになるのだが、あまりに無関心の度合いが強いので、それをどう表現すればいいのかわからなくなる」(p144)


③色を見分けるには「少なくとも二種類の光受容体が必要になるが、頭足類のほとんどは一種類の光受容体しかもっていない」(p146)
→これまで行われた頭足類に対する色識別の実験でも、色の区別ができていないことがわかっている(p146)
→ではどのように背景に擬態するなどの行動が可能なのか?
→ラミレスとオークリーの論文によれば、「ある種のタコ〜の皮膚で、光受容体に関連する遺伝子が活性化されている」ことが判明した。モノクロとはいえ皮膚でも「見る」ことができる
→著者の仮説は、タコの皮膚の層にある色素胞と光受容体が色を識別する機能を担っているのではないか、というもの

 

 

6 ヒトの心と他の動物の心


①「外界の状況を感知し、外に向かって信号を発する能力が内面化して、ついには神経系を生んだ。それを進化史上の重要な内面化の一つだとすれば、思考のための道具として言語が使われたのはまたもう一つの重要な内面化だった。どちらの場合も、自分以外の生物とのコミュニケーションの手段だったものが、自分の内部でのコミュニケーションの手段に変化したことになる」(p186)

 


7 圧縮された経験


ジャイアント・カトルフィッシュやタコの寿命は1〜2年ほど


①「頭足類の多くは、その寿命の短さに比してあまりに大きく、あまりに賢いと言える」(p194)


②「頭足類の特徴、特にタコに顕著に見られる特徴の多くが」、進化の過程で「殻を捨てたことで〜形態を自在に変え、機敏に動けるように」なり、「複雑な神経系を持つようになった」。また、「絶えず、鋭い歯を持つ捕食者に狙われる危険」から、「生き急いで若くして死ぬという生き方をするようにもなった」(p212)  

 


8 オクトポリス

 

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