『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』:ピーター・ゴドフリー・スミス (読書メモ) - einApfelのブログ
【広島関連】
リンクが変だが、『原子力帝国』:ロベルト・ユンク(日本経済評論社)である。
すべての(あるいはほとんどすべての)装置がついに非難の余地なく(あるいはほとんど非難の余地なく)機能するようになった場合ですら、原子力の予言者や計画者の賭けの中には、相変わらず計算できない最後の不安が残るのである。それは「人間因子」である。彼らはそれを将来においてもおそらく「掌握する」ことはできないであろう。つまり、彼らが調教をなしとげ、創造的でつねに自由と決定への参加を求める人間を、完全に予見可能で、全面的に操作でき、確実に意のままにできる「ホモ・アトミクス」にまで訓練するのでなければである。(p100)
原子力発電という一つの産業が、従業員・原子力発電所及びそのスポンサー・地域社会・軍事・政治家といった、国民国家内のほぼ全域に影響を及ぼす様を描いた反核の書。
興味深いのは引用にもある通り、原子力産業の誕生によって多くの人が「ホモ・アトミクス」への変化を求められる状況に陥る、という点。原子炉の厳密な取り扱いや管理体制、利権が生まれ翻弄される人々、「破壊力」という有用性を持つプルトニウムの搬送時への襲撃・強奪。
原子力発電所を稼働させるということは、想像の働くあらゆる観点での危険性を排除するべく奔走することを強いられる、まるで終わりのない踊りを核に強制されるようなものだ、ということが著者の主張したかったことではないだろうか。
『廃墟の光』:ロベルト・ユンク↓
古文の単語帳と辞書欲しいなあ。
著者も認める厚い本だけど(投資関連以外は)読みやすかった。
経済学で想定される経済活動を行う主体を「エコン」とし、行動経済学で想定する不合理な活動主体を「ヒューマン」と呼び分けることによって、従来の経済学理論がいかに「エコン」という現実と乖離した人間像に依拠していたかを批判し、かつ現実の経済・金融・行政等の政策に有効な理論を構成するため「ヒューマン」という行動経済学的人間像を前提とすることで、昨今の「不合理」で「非理性的に理性を使う」という人間性の変革を理解する上で良き入口ともなり得るなーと思う次第。
いろいろなところで高評価な一冊。
まさに「法」が生まれるその瞬間を歴史的な文学および映像作品から見出し、いかに「法」が人間の自由を担保し得るのかを原理的かつ直感的に理解できる筋道を示してくれる、若い人に読んで欲しい好著。
- 作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宮林寛
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/05/01
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久しぶりに再読の2冊