一世紀半前に鉄道が退屈なほど高速となって以来、知覚もわたしたちの期待も加速された。人びとは機械の速度に寄り添うようになり、身体の速度や能力に不満や疎外感を感じるようになっている。〜現代アメリカ人が手にする時間は三十年前よりも圧倒的に少なくなった。言い方を変えれば、工場の生産速度が上がっても労働時間が減らないのと同じく、輸送速度の上昇は人々を移動時間から解放することはなく、むしろさらに拡散した空間に縛りつけるようになった(たとえば、カリフォルニア人の多くのは毎日の自動車通勤に三時間から四時間を費やしている)。(p434,435)
ジムという屋内空間は姿を消しつつある屋外空間の埋め合わせであり、損なわれつつある身体の一時しのぎでもある。ジムは筋肉や健全さを生産するための工場であり、多くは工場のような外観を呈している。殺風景で工業的な空間に金属のマシンが光り、孤独な人影が個々の反復的なタスクに没頭する(工場的な美学もまた、筋肉と同じく郷愁の対象なのかもしれない)(p439,440)
産業革命では身体が機械に適応せねばならず、苦痛や負傷や体の歪みなどの過酷な影響をもたらした。それに対して、トレーニング・マシンは身体にあわせるようにしてつくられる。〜肉体労働は一度目は生産労働として、二度目は余暇の消費活動として再来する。行為から生産性が失われたことだけではなく、腕力にはもはや材木を動かしたりポンプを動かして水を吸い上げたりといった使途がないことにも、この変容の意味深さがあらわれている。(p441)
歩行の衰退の本質にあるのは歩く場所の喪失だが、そこには時間の喪失もある。あの物思いを誘うかたちのない時間、そこに充溢する思惟や求愛や白日夢や眼差しを喪失すること。わたしたちの生は、高速化してゆく機械に歩調を合わせてきたのだ。(p435)
- 作者: Peter J., M.D., Ph.D. Hotez,Arthur L. Caplan
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