レンマ学 の検索結果:

「レンマ学 第7回 レンマ的無意識(2)」 中沢新一 群像2018年8月号 走り書き

…した。(p269) レンマ学はこの二つの無意識を一つの法界(一心法界)のうちに統一して、心理学に新たな次元を開こうとするものである(同) そして、改めてレンマ学における人間の意識の発生過程が説明される。 純粋レンマ的知性=レンマ的無意識=如来蔵は、法界として相即相入しあう縁起の論理で満たされている。因果律や線形秩序といったロゴス的なものが現れることのないレンマ的無意識に「転形」を引き起こすのは、「時間性の侵入」である。 時間性が入り込むとき、〜如来蔵はアーラヤ識への転形を起こ…

「レンマ学 第6回 レンマ的無意識(1)」 中沢新一 群像2018年7月号 走り書き

…ス的知性)の無意識をレンマ学用語を使うことで改めて規定し→①ロゴス的無意識、 さらにレンマ的無意識の特徴を5つ挙げ→②レンマ的無意識、 ロゴス的知性では到達不可能だった領域がレンマ学の学問対象となることが宣言される。→③レンマ的心理学へ ーーーーーーーーーー 長いまとめ ①ロゴス的無意識 過去ー現在ー未来 という線形秩序(時間性)によって規定された言語=ロゴス的知性。このような知性のもと発展してきた西洋の心理学において語られる「無意識」、それは「ロゴス的知性の側から捉えられて…

「レンマ学 第5回 現代のレンマ学へ」 中沢新一 群像2018年6月号 走り書き

…おかつ「分子生物学的な進化論の核心部分に触れて」もいる。(p244,245) 理事無碍法界である生命は、~進化をとげながら、さらに高度なレベルの全体に円融していくのである。このようなレンマ的発想が現代の生命論には求められている。(p245) こうして私たちは、現代レンマ学の構築を可能にする、新しい思考平面に歩み出ることができた。この思考平面には、いままで科学的精神をもって構築される「学」の体系は存在しなかった。そこに私たちは「レンマの動く楼閣」を創りだそうと思う。(p245)

「レンマ学 第4回 脳によらない知性」 中沢新一 群像2018年5月号 走り書き

…いう意味であるから、レンマ学の言い方で言えば法界縁起する「純粋レンマ的知性」のことをさしている(p238) 滅心(生滅心):時間によって変化するロゴス的知性 時間の変化にしたがって移ろい変化していく心で、差別相をもって多義的に散乱していく。(p238) 「現実の人間(衆生)の心」は世界を認識する時、分別や差別を持ち、嫉妬や怒りといった感情、煩悩によって滅心が生まれてしまう。(p237) ↓↓ つまり、人間の心の構造は、「心真如と生滅心とが一体になることによって」相互に影響し合…

「レンマ学 第3回 レンマ学としての『華厳教』」 中沢新一 群像2018年4月号 走り書き

群像 2018年 04 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2018/03/07 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る 『華厳経』において目指されていること、 それは 多くの仏典は、対機説法のやり方を通じて、それを一種の「ロゴス的理性批判」として展開するのであるが、この『華厳経』にかぎっては、レンマ的知性そのものを純粋形態として取り出すという、前代未聞な試みがなされている。 (p254) である。 過去/現在/未来に秩序立てられる時間意識や、極小/極…

「レンマ学 第2回 方法序説(2)」 中沢新一 群像2018年3月号 走り書き

…厳教 短いまとめ ・レンマ学の基礎は大乗仏教における「縁起」であり「空」である。この世界において全ての事物/現象/存在は「空」であり、流れ去る中に一瞬現れるに過ぎない。 ・ロゴス的知性で世界を表そうとしても、その個体を「停止した状態」として切りだすことしかできず、人間の認識における本来的な「運動性まで含めたありかた」を表すことはできない ・そこで究極のレンマ的知性が展開されている、大乗仏教によって完成させられた「華厳教」をまずは見ていく必要がある 長いまとめ 1、縁起の思想 …

2018年1月に読んだ本

…ちろん、中沢新一の「レンマ学」とも異口同辞なのではなかろうか。 1/19 失われた夜の歴史 作者: ロジャー・イーカーチ,樋口幸子,片柳佐智子,三宅真砂子 出版社/メーカー: インターシフト 発売日: 2015/01/24 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (9件) を見る 現代社会と違い近代ヨーロッパにおいては、夜は闇と非常に近い関係であった。人工照明(蝋燭)は節約対象であり火事の原因ともなる。夜間における闇の領域は私達の想像以上に広がっていたことがわかる。 闇に乗…

「レンマ学 第1回 方法序説(1)」 中沢新一 群像2018年2月号 走り書き

…能力である。それゆえレンマ学の試みは、東洋思想論でも仏教論でもなく、一つの「普遍学」の試みとなろう。(p54) (※):最近読んだ本と関連付けると、 「クルアーンを読む」(太田出版)にはキリスト教文明由来の西洋近代科学の発展、「ハイデガー=存在神秘の哲学」(講談社現代新書)には、因果律の範囲内での西洋近代の思想的潮流(ハイデガーに言わせれば存在忘却の歴史) これらもロゴス的知性と言い換えることができ、特にハイデガーの存在論はレンマ学的発想と言うこともできるのではないだろうか。