2019年7月に読んだ本

 

 

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

 

 日本列島を文字通り東西に分断しているフォッサマグナ。世界でも類を見ないこの構造帯はどのように生成したのか。列島及び周辺海域の地質学的特徴を概説しつつ、その謎に迫る。

 

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット  人工知能から考える「人と言葉」

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」

 

 可能な限り「働きたくない」イタチたちが、自分たちが楽な生活をおくる目的で人工知能の開発に挑むストーリー。その過程で、人工知能が言語を理解/処理するとはどういうことか、そもそも言語の構造はどうなっているのか、といった古くて新しい疑問にぶつかりながら試行錯誤してゆく。各キャラクターのコミカルさが秀逸なのでぜひ小学校に1冊は常備しておいてほしい、そんな本。

 

 

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

 

 選択の限界

・「無数の投票形式を「社会的選択関数」によって一般化し、合理的な個人選好と民主的な社会的決定方式を厳密に定義してモデル化」した(p67)

→その結果、「完全に公平な投票方法は存在」せず、「そのような投票方式に依存する完全民主主義も、存在しない」ことが判明した(p73)

→アロウの不可能生定理

 

科学の限界

・ミクロの世界において、電子などの粒子を観測することは、観測する行為が粒子自身に影響を与えてしまう

不確定性原理は、電子の位置と運動量は、本来的に決まっているものではなく、様々な状態が「共存」して、どの状態を観測することになるのかは決定されていないことを表している(p141)

 →ハイゼンベルク不確定性原理

 

知識の限界

・「数学の世界においては「真理」と「証明」が完全には一致しない」ことを証明した(p226)→ゲーデル不完全性定理

 

 

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

 

 言語の限界

・言葉が指し示しているものを特定しようとしても、「私たちは言語を用いて答え続けるしか方法が」ないため、未知の言語で指し示しているなにかを、自らの言語と照らし合わせながら試行錯誤し続けるしか方法がない(p83)

→その言葉が「何を指示しているのかを絶対的に確定することはできない」(p81)

→指示の不可測性

 

予測の限界

・「個別」から「普遍」を求める帰納法に対する「暗黙の信頼が、現代科学の方法論にも引き継がれている」(p119)

→ほんの僅かな入力で全く違う結果が生じるバタフライ効果のような複雑系は、帰納法による理論の普遍化がほぼ成立しない

→予測の不確実性

 

思考の限界

・この宇宙の物理法則が、まるで「調整」されているかのような「必然」性によって構成されているとする「強い人間原理」と、そのような法則が「偶然」に構成されたとする「弱い人間原理」(p205)

・科学知識や技術のパラダイムが、「「非合理的」な要因で変遷する傾向にある」(p223)

→トーマス・クーンのパラダイム

・人類や宇宙の起源、神の存在証明、インテリジェントデザイン等々

→思考の限界と様々な不可知性

 

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

 

 行為の限界

行動経済学が明らかにした、人間の様々な「認知バイアス」による非理性的行動、そして思考における「二重過程理論」

→不合理性

 

意志の限界

・「自由」を人間の意志による「行動」だとすると、

→その「自由」な「行動」は遺伝子による利己的なふるまいとして説明できる(ことがある)

→不自由性

 

存在の限界

利己的な遺伝子が繁殖を続けることで「世界には生々しい「実存」が優先してある」にも関わらず、「人間は、何らかの「本質」を懸命に探し求めて」しまう(p202)

→芸術家が「美」を求め、「科学者や哲学者や宗教家も〜「真理」や「正義」や「神」を追求して」しまう(p201,202)

 →不条理性

 

 

症例でわかる精神病理学

症例でわかる精神病理学

 

 具体的な症例をふんだんに用いて、多様な治療法の観点から「精神病」とカテゴライズされる症状を概観できる読みやすい一書。治療法(治療者)と病者との相性やDSM-5の功罪なども、初心者にもわかりやすく噛み砕いて説明されている。

 

数量化革命

数量化革命

 

 

ルネサンス期の西ヨーロッパ社会においては、「楽譜や軍の隊形、会計簿や惑星の軌道も一種の量、あるいは数量的な表現の一形態とみなす」ことで、世界を把握しようとした(p24)。

 

複式簿記を用いると、収集した大量のデータをとりあえず保存しておいてから、しかるべく配列して分析することができる。〜商業や製造業や行政に携わったルネサンス期のヨーロッパ人と彼らの後継者たちが会社や行政制度をつくり、こうした組織を運営してゆくうえで、複式簿記は重要な役割を果たした。〜効率を追求したこの修道士は、落ち着きのないこどものように一時もじっとしていない食料品店や国家を静止させて数量的に処理する方法を、私たちに教えてくれたのだ(p278,279)

 

 

データサイエンス入門 (岩波新書)

データサイエンス入門 (岩波新書)

 

 多量に溢れるデータの数々を①分析し、②分かりやすく企業や行政に説明(プレゼン)し、③改善策や新たなアイディアを創造する、という「データ・サイエンティスト」が、これからの時代には必須の人材となるというお話。

「データに依存「しすぎる」ことのメリット/デメリット」という議論以前の、あまりにデータに依存「しなさ過ぎ」という観点から言っても、記録・記憶することへの配慮があまり見られないこの土地柄では実現はなかなか難しそうだなあ・・。

  

 

美容整形というコミュニケーション――社会規範と自己満足を超えて

美容整形というコミュニケーション――社会規範と自己満足を超えて

 

 以前新聞の書評を見たので読んでみた。

 

・「「手入れ」の対象」(p72)であったはずのシミやシワといった、「人生の当たり前の過程であったはずの老化は、「原因」があるものと措定される。したがって老化は「治療」の対象とできる」(p74)

 

・外見に手を入れる美容整形を行う理由として、「他者へのアピール」が前提とされ、その他者とは「「異性」や、より抽象化された「社会」が暗黙裡に想定されていた」(p172)。社会とは要は「社会規範」である(p172)。だが、アンケートによる調査の結果、より具体的な他者の姿が浮かび上がってきた。

〜外見を変える契機は、家族との日常的な会話や、友達による美容経験や、待合室でのうわさ話といった何気ない生活空間の中に−つまりは女性たちのネットワークという地平の中に−埋め込まれていると分かった。その地平とは、女性たちがつながっていく「ポテンシャル」と、美の基準を押しつける「社会的抑圧」の双方がせめぎ合う場でもあるだろう(p175)