2018年6月に読んだ本

 

ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書)

ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死 (NHK出版新書)

 

 宗教/文化./民族/その他の違いが死体の扱いを大きく変え、高度な死体の保存技術もその金銭的負担と相まって、残された人への課題を多く生み出してしまう。或る種の「境界」に関わる人の声の生々しさ、割り切れない人間味が、人間社会の普遍性を担保しているんだろうなあとしみじみ思う。

 

地を這う祈り (新潮文庫)

地を這う祈り (新潮文庫)

 

 

 

世界の産声に耳を澄ます

世界の産声に耳を澄ます

 

 

 

祈りの現場

祈りの現場

 

 

 

現代思想の名著30 (ちくま新書 1259)

現代思想の名著30 (ちくま新書 1259)

 

 

 

聖地巡礼リターンズ

聖地巡礼リターンズ

 

 

 

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5 (講談社選書メチエ)

 

 

 

発達障害と少年犯罪 (新潮新書)

発達障害と少年犯罪 (新潮新書)

 

著者は言う。

私が強く述べたいのは、発達障害が犯罪行為に結びついてしまったような事件や事例は、明らかに治療や教育の失敗が原因であるということだ。(p35)

 

むしろ発達障害の有無よりも、特に幼児期の育児環境のほうが成長後の犯罪を引き起こす心理状態を招く可能性さえあるという。

 

なにはともあれ、障害関係はまずは「知る」ことが第一であり、そのファーストステップこそが、いわゆる「健常者」が持つ最も重篤な「障害」として多くの人の前に立ちはだかっているのだろう。

 

 

 いわゆる「科学一般」がはらむ暴力的な同一性が引き起こす機能不全を認識し、差異を見出すことの重要性をドルゥーズの「差異と反復」にそって語られる。

 

因果の糸を辿ろうといくら脳細胞を観察しても、観察する主体も脳組織や神経細胞である現実からは逃れられない。「原因」をいくら求め続けても、その過程が終わりのない袋小路であることは古来より指摘され続けてきたことであるにも関わらず、因果律という中毒性の高い思考法から人はなかなか逃れることはできない。

 

「原因」と「結果」を切り分けて考えるロゴス的知性、その非対称的思考はたしかに現代社会の隅々にまで浸透しているのだ。

 

 

人間の本性を考える  ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)

 

 

 

 このテクストが目指すところより、このテクストが意味する事実に目を向けるならば、カントは結構オカルト好きということ。そしてにわかには信じがたい事例を述べながらも皮肉を交えることを忘れない。

理性のいんちきな理由づけを盲目的に信奉する方が、人をまどわす幽霊実話を不用心に信用するよりはたしてより名誉となることであろうか?(p94)

 

 

本書の目的の一つは、近世以来、哲学的認識論の側面で主流と考えられている時間の「意識論的」側面と、時間の一般了解となっている科学的(物理的)な意味での時間について考え、そこに潜む問題を分析し、時間論についての新しい見方や両者の関係を提示することにある。(p2)

 

「意識論的」な時間とは、ベルクソン的な時間論、日々私たちが「あっという間」とか「まるで永遠のように」感覚さえる時間。

「科学的(物理的)」な時間とは、時計の針が一秒一秒を刻む数(直線)的な時間、時に原子の振動数によってはかられるようなそれ。

 

それらの両者を併せて考えることなしに、現代において時間を「探究」することはできないという著者の、「哲学史における時間」と「物理学史における時間」の分析が本書には収められている。

 

時間論には、哲学史的な観点、科学基礎論的な観点、数学的無限論や時間論理の問題など、議論すべき視点はそれこそ無数にある。そうした総合的研究を通じてさえ、おそらく、時間の存在性格は簡単には定義できないであろう。今日の物理学と歴史的な哲学の時間論との関係でさえ、極めて難しい問題が存在している。時間は、我々がもっている言語、世界観の限りを尽くさないとみえてこない全体なのだ、と思われるのである。少なくとも、時間を深く論じるためにはフィジカとメタフィジカのアイディアを双対的にみることは今後必要である。(pp20-21)