2019年9月に読んだ本

 

イスラーム 生と死と聖戦 (集英社新書)

イスラーム 生と死と聖戦 (集英社新書)

 

 

・西欧社会における、国家によって定められた実定法に対立する概念としての自然法が、国家よりも上位であるとするのが、カリフ制における法の支配である。

だから自然法に反するような国家法はすべて否定する。西欧で言うところの自然法イスラーム法と言われるものにいちばん近い。ですから、ほぼイコールで自然法の支配がカリフ制だというふうに言えます(p183)

 

・「そもそも、人間が人間を支配するというのは不正」とするイスラームの世界観では、「たくさんの支配者が出てこないようにする」ことが望ましい。カリフの存在意義を突き詰めて言えば、「法がひとつ」であること、「ダール・アル=イスラームもひとつであるということの象徴」であるに過ぎない。(p190)

カリフ制というのは要するに、カリフ的な無数の人格が出てくるのを封じるための権力乱立の制御装置です。だからカリフは一人と定められている(p191)

 

 

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

 

 

 

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

 

  

アウグスティヌス <私>のはじまり (シリーズ・哲学のエッセンス)

アウグスティヌス <私>のはじまり (シリーズ・哲学のエッセンス)

 

 

アウグスティヌス『告白』―“わたし”を語ること… (書物誕生―あたらしい古典入門)
 

 

 

 

 

 

2019年8月に読んだ本

 

知ってるつもり――無知の科学

知ってるつもり――無知の科学

 

 

ここで言いたいのは、人間は無知である、ということではない。人間は自分が思っているより無知である、ということだ。私たちはみな多かれ少なかれ、「知識の錯覚」、実際にはわずかな理解しか持ち合わせていないのに物事の仕組みを理解しているという錯覚を抱く(p16)

 

自分の頭のなかにあるものと、外にあるものの境界はシームレスでなければならない。私たちの知性は必然的に、自らの脳に入っている情報と、外部環境に存在する情報とを連続体として扱うような設計になっている。人間はときとして自分がどれだけモノを知らないかを過小評価するが、それでも全体として驚くほどうまくやっている。それができるのは進化プロセスのもたらした最高の結果の一つと言える(p24)

 

知的であるというのは要するに、五感から入ってくる膨大なデータから本質的で抽象的な情報を抽出する能力があるということだ。高度な大きい脳を持つ動物は、単に周囲の光、音、においに反応するのではなく、知覚した世界の本質的かつ抽象的属性に反応する。そのおかげで新たな状況できわめて微妙かつ複雑な共通点や差異に気づくことができ、経験したことのないような場面でも適切な行動をとることができる(p58)

 

なぜ私たちは反事実的思考をするのか。なぜこれほど自然に反事実的世界について推論し、物語をつむぐのか。おそらくその主な理由は、別の行動シナリオを検討するためだ。〜中略〜新しい髪型を思いつけない者は、美容院に行って斬新な髪型にしてもらうことはできない〜。新たな権利に関する法案、あるいは新しい掃除機を思い描くことができない者も、それを手に入れることはできないだろう。反事実的思考をする能力は、特別な行動と当たり前の行動のどちらも可能にする(p78)

 

熟慮はあなたを他者と結びつける。集団は一緒に直感を生み出すことはできないが、ともに熟慮することはできる。〜コミュニティとともに熟慮することで、直観的因果モデルに内在する弱点や誤りを克服できることを見ていく。そうすることで、私たちは非常に強力な社会的知性を醸成することができる(p94,95)

 

ここから学ぶべき主な教訓は、知性を脳の中でひたすら抽象的計算に従事する情報処理装置と見るべきではない、ということだ。脳と身体、そして外部環境は強調しながら記憶し、推論し、意思決定を下すのだ。〜中略〜言葉を換えれば、知性は脳の中にあるのではない。むしろ脳が知性の一部なのだ。知性は情報を処理するために、脳も使えば他のものも使う(p121)

 

知性は、個人がたった一人で問題の解決に取り組むという環境のなかで進化してきたのではない。集団的協業という背景の下で進化してきたのであり、私たちの思考は他者のそれと相互にかかわりながら、相互依存的に進化してきたのだ(p126)

 

・人々が持つ「科学に対する意識」や心情は、「他の信念や共有された文化的価値観、アイデンティティ」と強く結びついている。そのため、文化やアイデンティティと一致しない科学や信念を選ぶことは「コミュニティと決別すること、信頼する者や愛する者に背くこと」、そして「自らのアイデンティティを揺るがすことに等しい」のである。(p176)

 

こうした視点に立てば、遺伝子組み換え技術やワクチン、進化論、あるいは地球温暖化について 〜中略〜 文化がわれわれに及ぼす影響力は、啓蒙の努力によって覆せるものではない(p176)

 

 

 

あたらしい狂気の歴史  -精神病理の哲学-

あたらしい狂気の歴史 -精神病理の哲学-

 

 

第1章 精神衛生の体制の精神史ー一九六九年をめぐって

 

・1965年の精神衛生法改正は、「現在にいたる精神衛生体制の枠組み」の基盤となっており(p29)、その改正過程の審議においては、

国家が責を負うのは、犯罪傾向のあると目される精神障害者の収容・治療・指導だけであって、精神疾患一般の収容・治療・指導ではない。ところが、精神衛生審議会の側は、社会防衛を梃子にして医療化の拡大を狙っている(p33)

 

一方で国家は社会防衛の観点からしても精神医療の拡大に対して謙抑的であり、他方で精神医学界は社会防衛の名目の下で精神医療の拡大に邁進するという構図こそが、それ以後の歴史を動かしていくのである(p33)

 

 

・「精神・心理系の学会の歴史において画期をなし」たと言われる1969年、「金沢学会」とも呼ばれる第六十六回日本精神神経学会での討論では、「精神科医療」の「荒廃」が議論の基調をなしていた。(p41)

 

「社会防衛」や「労働不能と見なされる精神病者をして労働可能な者にする」という目的を果たそうとする政府や独占資本に対し、精神科医は「「本来」の治療的側面」を、「本当の精神医療を強化し精神病者を治療しなければならない」という面を打ち出そうとする。(p43)

 

しかし、その治療の目指す先が、入院患者が「病院外で暮らしていける者」となり、「社会生活を送れる者」になり、「労働不能」な者が「労働可能」な者に、「治療」されることであるならば、それは政府や独占資本の目的に接近し、「社会保安的な役割を果たすことになってしまう」(p43)。

「本当」の医療化は「本当」に成功するなら、政府と独占資本と社会保安に貢献するのである。とするなら「本当」の医療化の要求は、「本当」は政府と独占資本も認めて然るべきであるという語り方へも傾いていく。そして、現実にも、精神衛生法改正の〈精神〉からしてそれは体制的に認められていく。(p43)

 

政府や独占資本が推し進める「偽の精神医療」や「社会復帰・治癒」と、精神科医が提唱しようとする「真の精神医療」や「「本当」の社会復帰・治癒」は果たして区別し得るのだろうか。そもそもこのような「袋小路めいたものを生み出す議論のその前提は正しいの」だろうか?(p43)

 

 

・「精神病院数のピークは、社会防衛体制が批判され学会が改革され人権擁護が進められたはずの一九九〇年代初頭に」やって来る(p54)

ここまでの検討から少なくとも言いうることは、戦後復興期の病院化と施設化を新たな段階へ押し上げる〈精神〉をもたらしたのは、一九六九年の学会改革であるということである。そして、その〈精神〉は、「反」や「脱」であったどころか、まさに精神衛生体制の枠内のものであった(p55)

 

 

 中世哲学関連

 

アウグスティヌス (Century Books―人と思想)

アウグスティヌス (Century Books―人と思想)

 

 

 

アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)

アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月に読んだ本

 

 

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体 (ブルーバックス)

 

 日本列島を文字通り東西に分断しているフォッサマグナ。世界でも類を見ないこの構造帯はどのように生成したのか。列島及び周辺海域の地質学的特徴を概説しつつ、その謎に迫る。

 

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット  人工知能から考える「人と言葉」

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」

 

 可能な限り「働きたくない」イタチたちが、自分たちが楽な生活をおくる目的で人工知能の開発に挑むストーリー。その過程で、人工知能が言語を理解/処理するとはどういうことか、そもそも言語の構造はどうなっているのか、といった古くて新しい疑問にぶつかりながら試行錯誤してゆく。各キャラクターのコミカルさが秀逸なのでぜひ小学校に1冊は常備しておいてほしい、そんな本。

 

 

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

 

 選択の限界

・「無数の投票形式を「社会的選択関数」によって一般化し、合理的な個人選好と民主的な社会的決定方式を厳密に定義してモデル化」した(p67)

→その結果、「完全に公平な投票方法は存在」せず、「そのような投票方式に依存する完全民主主義も、存在しない」ことが判明した(p73)

→アロウの不可能生定理

 

科学の限界

・ミクロの世界において、電子などの粒子を観測することは、観測する行為が粒子自身に影響を与えてしまう

不確定性原理は、電子の位置と運動量は、本来的に決まっているものではなく、様々な状態が「共存」して、どの状態を観測することになるのかは決定されていないことを表している(p141)

 →ハイゼンベルク不確定性原理

 

知識の限界

・「数学の世界においては「真理」と「証明」が完全には一致しない」ことを証明した(p226)→ゲーデル不完全性定理

 

 

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

 

 言語の限界

・言葉が指し示しているものを特定しようとしても、「私たちは言語を用いて答え続けるしか方法が」ないため、未知の言語で指し示しているなにかを、自らの言語と照らし合わせながら試行錯誤し続けるしか方法がない(p83)

→その言葉が「何を指示しているのかを絶対的に確定することはできない」(p81)

→指示の不可測性

 

予測の限界

・「個別」から「普遍」を求める帰納法に対する「暗黙の信頼が、現代科学の方法論にも引き継がれている」(p119)

→ほんの僅かな入力で全く違う結果が生じるバタフライ効果のような複雑系は、帰納法による理論の普遍化がほぼ成立しない

→予測の不確実性

 

思考の限界

・この宇宙の物理法則が、まるで「調整」されているかのような「必然」性によって構成されているとする「強い人間原理」と、そのような法則が「偶然」に構成されたとする「弱い人間原理」(p205)

・科学知識や技術のパラダイムが、「「非合理的」な要因で変遷する傾向にある」(p223)

→トーマス・クーンのパラダイム

・人類や宇宙の起源、神の存在証明、インテリジェントデザイン等々

→思考の限界と様々な不可知性

 

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)

 

 行為の限界

行動経済学が明らかにした、人間の様々な「認知バイアス」による非理性的行動、そして思考における「二重過程理論」

→不合理性

 

意志の限界

・「自由」を人間の意志による「行動」だとすると、

→その「自由」な「行動」は遺伝子による利己的なふるまいとして説明できる(ことがある)

→不自由性

 

存在の限界

利己的な遺伝子が繁殖を続けることで「世界には生々しい「実存」が優先してある」にも関わらず、「人間は、何らかの「本質」を懸命に探し求めて」しまう(p202)

→芸術家が「美」を求め、「科学者や哲学者や宗教家も〜「真理」や「正義」や「神」を追求して」しまう(p201,202)

 →不条理性

 

 

症例でわかる精神病理学

症例でわかる精神病理学

 

 具体的な症例をふんだんに用いて、多様な治療法の観点から「精神病」とカテゴライズされる症状を概観できる読みやすい一書。治療法(治療者)と病者との相性やDSM-5の功罪なども、初心者にもわかりやすく噛み砕いて説明されている。

 

数量化革命

数量化革命

 

 

ルネサンス期の西ヨーロッパ社会においては、「楽譜や軍の隊形、会計簿や惑星の軌道も一種の量、あるいは数量的な表現の一形態とみなす」ことで、世界を把握しようとした(p24)。

 

複式簿記を用いると、収集した大量のデータをとりあえず保存しておいてから、しかるべく配列して分析することができる。〜商業や製造業や行政に携わったルネサンス期のヨーロッパ人と彼らの後継者たちが会社や行政制度をつくり、こうした組織を運営してゆくうえで、複式簿記は重要な役割を果たした。〜効率を追求したこの修道士は、落ち着きのないこどものように一時もじっとしていない食料品店や国家を静止させて数量的に処理する方法を、私たちに教えてくれたのだ(p278,279)

 

 

データサイエンス入門 (岩波新書)

データサイエンス入門 (岩波新書)

 

 多量に溢れるデータの数々を①分析し、②分かりやすく企業や行政に説明(プレゼン)し、③改善策や新たなアイディアを創造する、という「データ・サイエンティスト」が、これからの時代には必須の人材となるというお話。

「データに依存「しすぎる」ことのメリット/デメリット」という議論以前の、あまりにデータに依存「しなさ過ぎ」という観点から言っても、記録・記憶することへの配慮があまり見られないこの土地柄では実現はなかなか難しそうだなあ・・。

  

 

美容整形というコミュニケーション――社会規範と自己満足を超えて

美容整形というコミュニケーション――社会規範と自己満足を超えて

 

 以前新聞の書評を見たので読んでみた。

 

・「「手入れ」の対象」(p72)であったはずのシミやシワといった、「人生の当たり前の過程であったはずの老化は、「原因」があるものと措定される。したがって老化は「治療」の対象とできる」(p74)

 

・外見に手を入れる美容整形を行う理由として、「他者へのアピール」が前提とされ、その他者とは「「異性」や、より抽象化された「社会」が暗黙裡に想定されていた」(p172)。社会とは要は「社会規範」である(p172)。だが、アンケートによる調査の結果、より具体的な他者の姿が浮かび上がってきた。

〜外見を変える契機は、家族との日常的な会話や、友達による美容経験や、待合室でのうわさ話といった何気ない生活空間の中に−つまりは女性たちのネットワークという地平の中に−埋め込まれていると分かった。その地平とは、女性たちがつながっていく「ポテンシャル」と、美の基準を押しつける「社会的抑圧」の双方がせめぎ合う場でもあるだろう(p175)

 

2019年6月に読んだ本

 

21世紀の戦争と平和: 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか

21世紀の戦争と平和: 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか

 

 頂き物

「徴兵制」というキーワードが目を引きがちだが、本書の主眼は国民国家を維持するための方法論である。

一般市民の平和と安全を担保する統治機構として現状機能しており、かつ、よりマシな統治方法が出てこない以上、国民国家というシステムを維持していくことが現代を生きる我々の優先事項である。

その前提の上で、国家という単位での統合の契機としての「徴兵制」、及び「血のコストの共有」による「シビリアンの戦争」を回避するというロジックは、複数の徴兵制を実践してきた/している諸国家を考察することでその有効性を実証しているように見える。

 

これに対する感情論を排した有益な反論はありうるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

経済学関連で読み散らした本

デルの革命 - 「ダイレクト」戦略で産業を変える (日経ビジネス人文庫)

デルの革命 - 「ダイレクト」戦略で産業を変える (日経ビジネス人文庫)

 

  

クルーグマンの国際経済学 上 貿易編

クルーグマンの国際経済学 上 貿易編

 

 

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実

 

 

 

 

 

2019年5月に読んだ本

 

 

本居宣長 (1978年)

本居宣長 (1978年)

 

 

〜二重構造ともいうべき姿勢、つまり正しい道理を自覚し、その実現を期待する志向を失わないという姿勢は、宣長において相当に根の深い姿勢であったと言わなければならない。〜後に述べるように終生、この姿勢は持ちつづけられ、また、彼の思想の核心にかかわるものにまで結晶することになったと思われるのである。(p215,216)

 

一面において宣長は、今の世をこえた正しい道理を考える。だが他面において、あくまでも今の世に随順することを強調する。今の世を基準として考えて、難のなさを求め、わがままを否定する。(p213)

 

 

 

いつもそばには本があった。 (講談社選書メチエ)

いつもそばには本があった。 (講談社選書メチエ)

 

 

  

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

実際の統計データを物語中に織り交ぜつつ、現実的で具体的な表現で「韓国で生きる女性」を描き出すその筆致は、ある意味、文学における「抽象性」や「深み」を脇においてまで、表現したいある「領域」があることを感じさせる。

 

社会変革が進む過程で起こる世代間・性別間の摩擦と葛藤。新しく生まれた価値観を認める人達と認めない人達できれいに社会が分かれるわけではない現実においては、相手の考え方を納得はできずとも理解はできるゆえの気遣いが世代・性別を越えてやり取りされる。主人公のキム・ジヨンはその不合理で差別的な社会構造に気付くたびに、時に傷つき、拒絶しながらも、諦めの気持ちを抱きもする。

 

社会の構造的暴力が残存するその「領域」は、1人の女性が抵抗しただけではどうにもならないほど強大で、無慈悲である。少なからぬ人々にとっての疑わざる常識ですらあるがゆえ、あまりにも強固である。その内実を描き出すために、(意識的にせよ無意識的にせよ)選択された「わかりやすい」文体には、現実社会で議論を呼び起こすきっかけとなっているこの現実を見れば、その有効性が実証されていると言うことができるであろう。

 

説教したがる男たち

説教したがる男たち

 

 

別に男に意地悪したいわけじゃない。ただ、暴力が一体どこから来るのか、それについて私たちに何ができるのか、もっと生産的に理論化できると思うだけだ。米国の場合、簡単に銃が手に入るということも大きな問題だが、だれにでも銃が手に入るにもかかわらず、殺人犯の九十%は男性なのだ(p32)

 

 

パワー

パワー

 

 

 

天然知能 (講談社選書メチエ)

天然知能 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

 経済学関連で読み散らした本

集積の経済学

集積の経済学

 

  

経済学原理〈第2〉 (1966年)

経済学原理〈第2〉 (1966年)

 

  

モジュール化―新しい産業アーキテクチャの本質 (経済産業研究所・経済政策レビュー)
  

 

 

国家の退場―グローバル経済の新しい主役たち

国家の退場―グローバル経済の新しい主役たち

 

 

 

 

2019年4月に読んだ本

 

 

 

私は先ほど、一般的通念に反して「私」は主格であることができない、と述べた。その理由は、「私」が事物や出来事が「於いてある」場所だからであった。これは、判断論の見地から言い換えるなら、私とは述語となって主語とはならないものだ、ということであり、さらに言い換えるなら、それに対してはさらに述語を付け加えることができない絶対無の場所であるということである。
述語となって主語とならないということは、言い換えれば、対象化されないということである。意識は対象化する場所であって、それ自体はどこまでも決して対象化されない。 (p92)

 

 

テアイテトス (ちくま学芸文庫)

テアイテトス (ちくま学芸文庫)

 

 

 

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

 

 

 

 

ヘーゲルを読む 自由に生きるために (放送大学叢書)

ヘーゲルを読む 自由に生きるために (放送大学叢書)

 

 

 

 

 

 

 

イマヌエル・カント (叢書・ウニベルシタス)

イマヌエル・カント (叢書・ウニベルシタス)

 

 

〜国法に基づいて保証される抵抗権と革命権という考えは自己矛盾であるであろう。〜なぜなら抵抗を要求するような政治状況、失われることのない人権の侵害は、理性法のアプリオリな規定に対する公然たる違反として根本において適法ではないからである。カントにおいては国家は第二順位の法制度であるので、国家は自己を目的とするのではなく、それが保証すべき第一順位の法制度へと後ろ向きに拘束されているのである。(p249)

 

国家によって規定された「抵抗権」および「革命権」という権利は、「理性法」の目的である人および「人権」を法的に保障する国家の役割の不履行を前提する故の「自己矛盾」である。カントによれば国家は、国家という「自己を目的とするのではなく」、ただ道徳法則を実現するための「第二順位の法制度」であるに過ぎないのである。

 

カントの妥協のない抵抗権拒否は、本来的契約というアプリオリな批判的理性理念と、歴史的に与えられた法秩序と国家権力という経験的現実的な要因との不当な同一視から生じるのではないか(p249)

 

ーーーーー

 

自然において規則性と体系的連関を見出せると期待する権利が我々にはある、ーーこれがカントの超越論的演繹論の極度に簡略化したものである、ーーというのも我々はこの前提の下でのみ自然の客観的認識を求めることができるからである。自然の形式的合目的性は、すべての自然研究が常に予め、それ故アプリオリに承認している期待の地平である。(p283)

 

人間の認識や科学の成立の条件は、我々が「自然において規則性と体系的連関を見出せると期待する権利」を持つゆえであり、その「期待の地平」の「下でのみ自然の客観的認識を求めることができる」のである。

 

ゆるく考える

ゆるく考える

 

 

 

 

本居宣長(下) (新潮文庫)

本居宣長(下) (新潮文庫)

 

 

 

 

〈あいだ〉を開く―レンマの地平 (世界思想社現代哲学叢書)

〈あいだ〉を開く―レンマの地平 (世界思想社現代哲学叢書)

 

 途中まで読んだ。後で買おう。

 

 

日本代表とMr.Children

日本代表とMr.Children

 

 

 

 

Anti-Vaccination についてのメモ


最近 CNNで ant-vaccine 関連のニュースをよく見かけるので、下記のニュースで紹介されていた本を取り寄せて少しだけ読んでみる。

edition.cnn.com

 

 

 

Vaccines Did Not Cause Rachel's Autism: My Journey as a Vaccine Scientist, Pediatrician, and Autism Dad

Vaccines Did Not Cause Rachel's Autism: My Journey as a Vaccine Scientist, Pediatrician, and Autism Dad

 

 

Currently, 18 US states allow nonmedical exemptions for reasons of personal or philosophical beliefs, and some major metropolitan areas, including Seattle and Phoenix, are also at imminent risk of measles outbreaks (xiv)
[現在アメリカの18の州における、個人的な思想信条による非医学的な(予防接種)拒否が、シアトルやフェニックスを含む大都市圏での麻疹流行の危険性があることを認めた。]

 

~phony propaganda released by an anti-vaccine movement that began in 1998.  (xiv,xv)
[間違った宣伝によるアンチワクチン運動は1998年に始められた]

 

ーーーーーーーーーー

Andrew Wakefield

In 1998, Andrew Wakefield and his colleagues created a medical storm and generated widespread interest following publication of their paper in the Lancet in which they reported a gastrointestinal syndrome associated with colitis and intestinal lymph node hyperplasia that was linked to “developmental regression in a group of previously normal children” who had received the measles, mumps, and rubella(MMR) vaccine.(p16)
[1998年、アンドリュー・ウェイクフィールドとその同僚が、大腸炎と腸リンパ節の異常増殖によって引き起こされる胃腸疾患が、麻疹・おたふくかぜ・風疹に対する予防接種を受けた子供の集団における発達の後退と結びついている、という記事を自ら発行しているLancet誌に掲載し、多くのメディアからの注目と話題をつくりあげた]

 

Despite the overwhelming scientific evidence that vaccines don’t cause autism, an American and international anti-vaccine movement remains stronger than ever and is causing thousands of parents to stop vaccinating their children (p17)
[ワクチンは自閉症を引き起こさないという膨大な科学的証拠にも関わらず、アメリカおよび国際的なアンチワクチン・ムーブメントは変わらないどころかより影響力を増しながら、多くの親たちに、彼らの子供たちに対する予防接種の拒否を引き起こしている]

 

~in 2011, the lead editors of the BMJ(British Medical Journal) commissioned Deer to produce a series of articles about Wakefield. Writing about Deer in a series preface published in the BMJ, the editors note that “ it has taken the diligent scepticism of one man, standing outside medicine and science, to show that the paper was in fact an elaborate fraud”. (p58)[Brian Deer, investigative reporter for the Sunday Times(London)(p58)]

[2011年、ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)の編集者が、サンデー・タイムズ紙の調査報道記者のブライアン・デーア氏にウェイクフィールド氏の記事についての調査を依頼した。BMJに発表されたデーア氏の記事に対する編集者の序文はこう述べる。「一人の男によってとられた熱心な懐疑主義的な態度は、医学及び科学とは別の観点に立脚しており、事実その文章は精巧な欺瞞の様相を呈している]

 

【イギリス】ウェイクフィールドの文書が提出されて以来、1996年~2003年の間に、MMRワクチンの接種率が90%から80%に低下し、2006年には他の予防接種と比べてMMRの接種率が10%も低いままであった。
1998年に56件→2006年に400件以上の麻疹感染が確認された。(p59)


【ヨーロッパ】MMRワクチンと自閉症の関連性という風評がヨーロッパにも拡大し、2017年現在、ルーマニアとイタリアが主要な麻疹の感染拡大地となっている。

 

~once vaccination rates go below 90 to 95 percent, we see measles. Such is the situation we currently face in Europe. We can reliably expect to see significant European measles outbreaks in the coming years」(p60)

[予防接種の割合が95%から90%に一度低下するだけで、私たちは麻疹の患者に出会うことになる。このような状況はすでにヨーロッパが直面しており、近い将来ヨーロッパでの麻疹感染が確実に拡大することが予測されている]

 

ーーーーーーーーーー

③ Thimerosal


2001年に発表されたウェイクフィールドの論文では、水銀を含んだ防腐剤が自閉症を引き起こすと主張されている。本来水銀は神経症や行動障害を引き起こすことがわかっているにも関わらず、その後一部の人々が日本の水俣病を例にとるなどして、水銀と自閉症の関連性の主張を続けている。(p61)


アメリカでは安全性が発表されているにも関わらず、thimerosal(チメロサール有機水銀化合物の一種)をワクチンから除去する動きが広がっている。

 

Despite vaccinating children with thimerosal-free vaccines for many years now, the rates of autism have remained unchanged」(p62)

[もう何年も、チメロサールが含まれない予防接種を続けているにも関わらず、自閉症者の割合は変わっていない]

 


Thmerosal(チメロサール)について、日本の医療機関のホームページで肯定的・否定的意見のページを見つけたので、それぞれリンク↓

 

www.azabu-iin.com

www.fukuhara-kodomo.com

 

ーーーーーーーーーー

④ California

A California -based pediatrician, Dr. Robert Seaes, wrote a book that became a best seller. The Vaccine BookB: Making the Right Decision for Your Child, by “Dr. Bob”(as he is sometimes known) proposes alternative immunization schedules based on an erroneous belief(p63)

 

Nevertheless, the alternative schedule proposed by Dr. Sears has found enough acceptance among for parents to request delays in the vaccine schedule or to with hold it altogether. Such requests are contributing to gaps In vaccine coverage(p64)

 

~in California private schools the philosophical exemption rate more than doubled between 1994 and 2001, and then almost doubled again by 2009」(p90)