2020年3月に読んだ本

 

世界哲学史2 (ちくま新書)

世界哲学史2 (ちくま新書)

  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 新書
 

 

 

機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ (講談社選書メチエ)

機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ (講談社選書メチエ)

  • 作者:久保 明教
  • 発売日: 2018/09/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

めぐりながれるものの人類学

めぐりながれるものの人類学

  • 作者:石井美保
  • 発売日: 2019/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年2月に読んだ本

 

 

世界哲学史1 (ちくま新書)

世界哲学史1 (ちくま新書)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/01/07
  • メディア: 新書
 

 

 

 

偶然性と運命 (岩波新書)

偶然性と運命 (岩波新書)

 

 昔読んだのを再読

 

 

 

<ひと>の現象学

<ひと>の現象学

 

 

 

 

虹と空の存在論

虹と空の存在論

 

 

雨上がりの空にふっと現れる虹。それは果たして「もの」なのか、「出来事」なのか。

 

私たちは日常的に、机や椅子といった具体的にある「もの」(対象個体)や、祭りや運動会といったある期間に起きる「出来事」と出会いながら日々を過ごしている。果たして虹はそのどちらといえるのだろうか?

 

何よりも虹の特徴はその空間的形態にあるのだから、出来事が、七色であったり、アーチ型であったりできるだろうか。色や形をもつことができる以上、虹は出来事ではなく、対象個体ではないだろうか。

 だが他方で、虹がいつ出て、いつ消えるかは比較的明瞭なのに、その空間的位置がはっきりしないという虹の特徴は、虹が出来事に近いことを示すようにも見える。(p67)

 

 

 

 

 

2020年1月に読んだ本

 

うしろめたさの人類学

うしろめたさの人類学

  • 作者:松村圭一郎
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2017/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

個人的な感情や関係性が、市場・社会・国家といった大きなものとつながっていることをしめし、世界の公平に向けて私たちに何ができるのかを、ゆっくり優しく語られていく。

 

 たぶん、世界を根底から変えることはできない。まったくあたらしい手段をみつけて、すべてをつくりかえることはできない。おそらくそれはよりよい方向に近づく道でもない。

 ぼくらにできるのは「あたりまえ」の世界を成り立たせいている境界線をずらし、いまある手段のあらたな組み合わせを試し、隠れたつながりに光をあてること(p182)

 

今私の目の前にふっと現れた「あたりまえ」をずらしてゆく他者に対し、「うしろめたさ」を感じることから始まる「贈与」という実践的倫理の機会に開かれてありたい、そう思わされる。

 

 

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

 

 

2019年12月に読んだ本

 

森のバロック (講談社学術文庫)

森のバロック (講談社学術文庫)

 

 

人間の感性的な領域を「心界」、事物のみの領域を「物界」とすると、「事」はその二つの領域の出会いによって生じる。

そして「事」は「物」と違って、「対象化不可能なダイナミックな運動」(p76)であり、量子論における「観測問題」の様相を呈している。

つまり、どんな物質現象でも、それが人間にとって意味をもつときには、すでに「物」ではなく、「心界」と「物界」の境界面におこる「事」として現象しているために、決定不能の事態に陥ってしまうのだ。量子論は、パラドックスにみちた「事」の世界を記述するための方法を、いまだに探求しつづけている。熊楠は量子論が生まれる三十年も前に、「事」としてつくりだされる世界の姿をとらえ、それをあきらかにするための方法を、模索しだしていた(p77)

ーーーーーーーーーー

 

古代社会の「人柱」・「人身御供」といった習俗を「神話的フィクション」とする柳田国男に対して、南方熊楠はそういう「本源的暴力」は実際行われていたのであり、私たちの社会はそのような暴力的起源を持っていると、ある意味素朴に考えていた。

柳田国男レヴィ=ストロースのように、これを、不安定ながらもすでに自然(水の神)にたいして主権を確立している社会の側から説明するならば、そのとき「象徴学の主体」は、社会実体の観念の内側にいる。これにたいして、熊楠のようにそれを、その「事件」にきっかけにして、社会なるものが創出されることになった、重大な転換点をなすひとつの「リアル」なのだ、ととらえると、そう考える「象徴学の主体」は、カオスとプロセスの側に身を置くことになる。このカオスの中から、プロセスとして、社会はつくりだされてくるのである(p234,235)

 

民俗学の主題は、近代のあらゆる学問に抗して、その始原の光景を、知の言葉の中に、浮上させてくることにある。近代のあらゆる学問に抗して、と言ったのは、近代の社会とそれをささえるすべての文化装置が、あげて、この始原の光景を隠蔽することから、みずからの存在理由を打ち立てようとしているからであり、民俗学はそれに抗して、近代の言説に亀裂を入れる、本質的に「例外の学問」にならなければならない。南方民俗学は、そのような始原学をめざしていた(p235)

 

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

 

 

 

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

  • 作者:小川 さやか
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/07/14
  • メディア: 新書
 

 

インフォーマル経済を体現するタンザニアの零細商人たちは、先進国における新自由主義的な「経済合理性」、分業や規模の経済性といった「合理的」手段を追求しない。彼らは自身のコネクション(友人・知人・親類)をツテに個人単位で商売を行い、共に情報や資金を融通し合い、商機に殺到したと思ったらまた別の業種に散り散りとなってゆく。

彼らの信頼とは大胆な言い方をすれば、その時々の交渉により発言する「誰も信頼しないことによる、誰にでも開かれた信頼」であり、どちらかと言えば、「反コミュニティ的」なものである(p115)


彼らが常に選び取る・規範とする姿勢は、決して一点集中による効率化ではなく、自律分散的に行動することで個々人のリスクと利益を適度に分配することである。
そして、「法的な違法性 illegal」と「道義的な違法性 illicit/合法性 licit」(p128)という区分をそのインフォーマル経済圏に当てはめれば、「法的」かどうかよりも「道義的」かどうかが重視される。

わたしは、下からのグローバル化の興味ぶかい点は、上からのグローバル化との関係をめぐる論点だけでなく、下からのグローバル化を構成する人びとのあいだにある文化的な多様性や経済的な力の不均衡が、いかに折衝されながら、アナーキーでありつつも「法的には違反しているが道義的には許せる」第三の空間を創出していくかにあると考えている(p167,168)

 

 

 新自由主義が隅々まで浸透することで起こる、交換可能性領域の際限のない拡大。それにより引き起こされるあらゆるひと・もの・ことへの数量化と数値化からの貨幣換算。西洋近代に生み出された法秩序や法規範内でのそのような展開は、その中で生きる人々の実存/承認欲求を絶えず不安に晒し続けている。

インフォーマルな経済を行うタンザニアの零細個人商たちは、新自由主義が生み出した大量の商品とテクノロジーを享受しつつも、それらを生産した主流派経済学と歩を同じくすることなく、むしろ新自由主義が無駄として切り捨ててきた数量化できない人間性の諸部分を、その経済の根幹に据えている。

加速する現代経済への、「対抗馬を考えなければいけない」という理由のみでよく急造されるスローな経済・スローな〇〇といった単純な言説にはない、正しく文化人類学的で、かつ人類史的深みを携えた経済のかたちの一例が本書には示されている。

 

 

 

 

 

『「差別はいけない」とみんないうけれど。』メモ

 

「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

 

 

まえがき


・本来、反差別的行動は被差別者によるアイデンティティ・ポリティクスとして存在していた

・近年は被差別者の周囲にいる人たち(≒マジョリティ or エスタブリッシュメント)による反差別的行動や言説が活発化している

・「アイディンティティ」から「シチズンシップ」への転換 

  アイディンティティ・ポリティクス: 差別者と被差別者に分ける
 →意図的に差別をしていない人も、マジョリティであるがゆえに「差別者」になる可能性がある

 シチズンシップの論理: 自己が「差別者」である可能性を吟味せずに「非当事者を ふくめたみんなが差別を批判できる状況をつくった」(p16)

 →誰もが「市民」になることができ、

「市民」であれば、だれもが差別を批判できる。これがシチズンシップの論理である(p14)

 

カール・シュミットを援用すると、アイデンティティは民主主義、シチズンシップは自由主義という特徴を持つ。

 民主主義:(権力者から)平等に扱われる
 →同一性、同質性、集団性

 自由主義:(権力者から)自由に行動できる
 →言論の自由三権分立、主体性を持った市民、個人

 

・移民排斥運動や特定の人種・出自に向けられる排外主義は、「実はアイディンティティ・ポリティクスをおこなっている」。(p22)
→マイノリティこそがマジョリティを差別している、としばしば主張される

EU(自由主義) vs 加盟国(民主主義)(p22〜24)
→緊縮財政(EUによる自由主義経済) vs 反緊縮運動(加盟国による経済的格差の是正)
→難民受け入れ(EUによる人権思想) vs 排外主義的ポピュリズム政党の躍進(加盟国 による、難民を受け入れることで民主主義の「同質性」が「毀損」されることに 対する危機感の表面化)

 


第五章 合理的な差別と統治功利主義

 

しかし、繰り返すが、問題は、差別はいけないという考えが一般化し、マイノリティが被ってきたさまざまな不利益が解消され、マジョリティと同じ「尊厳」を持つ「市民」として扱われるにつれて、生物学的な特性に基づく議論が影響力を拡大してきた、ということである(p229)


 差別を被ってきたマイノリティによるアイデンティティ・ポリティクスによって(途上であるとはいえ)「さまざまな不利益が解消され」てきた現代において、過去にその「不利益」の源泉であった前近代的差別意識が、「根拠に基づいた」科学的な差別へと形態を変えて表出しつつある。この形態変化は、根拠の有無による何か別様な変化に見えて実は、〈意味がある無意味〉の周りをただ周っているだけなのではないだろうか。

 

意味がない無意味

意味がない無意味

 

 『意味がない無意味』(河出書房新社)において千葉は、 際限なく意味を汲み出すことができる無限に多様な現実世界の事物は、過剰なまでに意味がある〈意味のある無意味〉だと表現している。「無限に意味が過剰なもの」「無限に多義的なもの」で溢れかえっている現実世界は、「意味がわからない状態なので、要は、無意味なのである」(p11)。そして、「今日の相対主義批判者[≒反ポリコレを掲げるマジョリティ]は、科学的なエビデンスにもとづき、世界について絶対的言明を言おうとする」と指摘している(p31)。 

 

相対主義は、思考不可能な実在=〈意味がある無意味〉=xを拠り所にして作動している。〜立場次第でxをめぐって色々な言明を言え、そのどれもが決定打にならない。どれもが決定打にならないから、特定の立場への「狂った」ようなコミットメントを決定的に退けることもできない。つまり、相対主義は、信仰主義に転化するのだった(p31)

 

 現代においては進化心理学的に「合理的」であるとされる、前近代の信仰的な差別意識は、人権思想や啓蒙主義によって批判され、マイノリティの「不利益が解消され」てきた。しかし、差別を解消してきたはずの「科学的なエビデンス」を、「差別が解消された現状」に新たな科学的知見とともに適用することで、「差別が解消された現状」こそが科学的根拠に基づいた有りうべき世界を歪めている差別的状況である、というマジョリティからマイノリティに対する新たな「差別」の手段を生み出しているのである(=マジョリティによるアイデンティティ・ポリティクス)。

 

〈意味がある無意味〉の周りで反復される差別は、別様に見えて、同じ構造のもと駆動している。その外部として千葉が提案するのが〈意味がない無意味〉である。その概念を「差別」の現実に落とし込むとすれば、いったいどのような言葉になるだろうか。

 

ーーーーーーーーーー

 

スケープゴートとは、ある集団が、集団全体の罪を特定のひとびとに背負わせ、排除することで、その集団の「同質性」(「私たちには罪はない、穢れがない」)を高める儀式である。差別者を犠牲の山羊[スケープゴート]として「炎上」させるのは、差別者という「異質性」を排除することによって、「私たちは差別者ではない、差別を許さない市民である」という「同質性」を相互に再確認し、「市民」としての結束を高めるためではないだろうか。つまり、それは、あまりに抽象的であるため「空虚」としか感じられない「市民」という理念に、アイデンティティの「同質性」をなんとかして与えようとする儀式なのである(p231)

 

 つけ加えるとすれば、「同質性」の濃度を高めるため「異質性」の濃度を薄めようとして排除が行われ、かつ、濃度の増加・減少は漸近的な変化として認識されるため、原理的にその活動には終わりがない、ということが言えるだろう。独裁的な政治体制や極端なイデオロギーによる統治の下で行われる、「あいつは裏切り者だ」という権力者への人々の密告が、実際に「裏切り者」であるかどうかの確固たる証拠を必要とすることなく「裏切り者」への制裁の根拠となってしまう状況は、その終わりのなさを最悪の形で表してしているのではないだろうか。

2019年11月に読んだ本

 

 

物質と記憶 (岩波文庫)

物質と記憶 (岩波文庫)

 

 

 

 

「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

 

 

 

2019年10月に読んだ本

 

 

 

東方的 (講談社学術文庫)

東方的 (講談社学術文庫)

 

 

 

文化人類学の思考法

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エネアデス(抄)〈1〉 (中公クラシックス)

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エネアデス(抄)〈2〉 (中公クラシックス)

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アウグスティヌス―その時代と思想 (1969年) (筑摩叢書)

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