『ヒロシマ・パラドクスー戦後日本の反核と人道意識』:根本雅也 (読書メモ)

 

ヒロシマ・パラドクス―戦後日本の反核と人道意識

ヒロシマ・パラドクス―戦後日本の反核と人道意識

 

 

【目次】

 

 序章 ヒロシマの普遍主義

 第一部 創られたヒロシマー普遍主義の力学

  第一章 占領と復興ー普遍主義の誕生

  1.広島市の論理ー災禍の意義

  2.占領という時代状況

  3.平和記念都市としての復興ー地域主義的な普遍主義

  4.普遍主義という作為

  第二章 原水爆禁止運動と広島ー人道主義と超政治的立場

  1.原水爆禁止運動と人道主義

  2.運動の分裂と広島ー人道主義・原体験・超政治的立場

  3.分裂後の核兵器反対運動ー超政治的立場の意味

 第三章 原水爆禁止運動の分裂と広島市行政ー権力の拡大

  1.山田節男市政の発足

  2.平和施策の強化

  3 .広島市と社会運動の関係の変化

  4.人道主義・非政治化・行政権力の拡大

  5.普遍主義の力学

 

第二部 遺産化する被爆体験ー継承の力学

 第四章 被爆体験の遺産化ー被災の資料と記録の運動

  1.「被爆体験の継承」が求められるときー歴史的背景

  2.壊れたモノの意味ー原爆ドームと被災資料の保存

  3.記録の意味ー被爆地図復元運動と原爆被災全体像調査

  4.遺産化の両義性

 第五章 継承の制度化ー体験を語る活動と教育

  1.体験を語ることの意味ー米山リサによる研究

  2.継承と教育

  3.体験語りの活動の形成

  4.語り手になること

  5.制度化される語りー問われない「継承」

  6.拡大する広島市の役割ーもうひとつの副産物

  7.継承の力学

 

第三部 生きている原爆ー暴力の力学

 第六章 傷と痛み

  1.熱戦による外傷と被爆

  2.痛みと身体

  3.「汚い」身体ー外見の変化

  4.自分の身体、自分ではない身体ー今=ここにある〈原爆〉

 第七章 ホウシャノウが現れるとき

  1.放射線の人体影響をめぐる科学的知識とその性質

  2.ホウシャノウが現れるときー異常の原因

  3.被爆者の論理ー東友会の被爆者調査を事例として

  4.可能性をめぐる不安と苦悩ー遺伝的影響

  5.終わらないホウシャノウ

 第八章 死者とともに生きる

  1.死者の声とまなざし

  2.死者という重荷と責務

  3.死者との関係性を生きるー「生き残り」の戦後史

  4.死者とともにある生

 終章 反原爆の立場ーもうひとつの普遍主義

 

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 序章 ヒロシマの普遍主義

①原爆投下によって引き起こされた災禍は多くの地域で共有され、その悲劇の当事者である「ヒロシマ」は一種の普遍性を、20世紀における半核兵器運動とともに帯びることとなった。この歴史的意義を再確認しつつも著者は「一方で、こうした普遍主義は副作用をもたらすことがある」と述べる。(p4)

 

 ②「普遍的な価値を強調することで、関連する諸行為はときにイデオロギーや政治的立場を超えたものとして捉えられる。しかし、そのことは政治的立場の否定や政治の忌避を引き起こし、それらの排除にもつながる。つまり、原爆の災禍について伝えることや人類のために核兵器に反対することは、政治的立場を超越した行為とみなされて政治と切り離される一方で、「政治的」とみなされる場所ーたとえば具体的な政治への言及や関与などーは避けられ排除されるようになる。言い換えれば、それは非政治化という副作用である」(p4)

 

 ③「本書が「ヒロシマの普遍主義」というとき、それは普遍主義でありつつも、広島という地域で(しかし、他の地域や国の人々との相互作用や社会的状況の影響の中で)形づくられてきたこと、そしてそれが地域主義的な側面を持っていることを反映することとなる」(p14)

 

 ④「本書がヒロシマの普遍主義に焦点を当てるのは、それが形成され展開される中で副作用を生み出したからである。その副作用とは、原爆の災禍にまつわる諸行為を政治から切り離すという非政治化の力学である。日本の社会的・時代的な状況の中で、ヒロシマの普遍主義は、人類という立場を強調することで、関連する諸行為をイデオロギーや政治的立場を超えるものとして扱うようになる。〜しかし、政治的立場を超えること、あるいはそれを超えようとすることは、逆に、政治的立場や政治への関心の忌避や否定、さらにはそれらの排除にもつながっていくこととなる」(p15)

 

 

 第一部 創られたヒロシマー普遍主義の力学

  第一章 占領と復興ー普遍主義の誕生

  1.広島市の論理ー災禍の意義

①「全人類永遠の広島」や「平和のメツカ」という言葉とともに、「戦後一年も経たないうちに、広島市の復興は世界の平和と結びつけて語られていた」。(p34,35)

②その理由は、「ひとつは原爆が戦争を終結させ、平和をもたらしたという考え方で」あり、「もうひとつは、核兵器による戦争が「人類の破滅と文明の終末を意味する」がゆえに、今後、戦争を引き起こすべきではないという「思想革命」で」あった。(p36)

 

  2.占領という時代状況

GHQ /SCAPによる、原爆批判を含む占領体制全般に対する言論の統制・検閲

②「原爆投下とそれによる惨禍の出来事を人類や世界という視点から捉え、その意義を強調することは広島市GHQ /SCAPの間で共通しており、〜戦災ならびにそれを被った広島市の特殊性を強調する根拠となっていくのである」(p39)

③ただしその陰となる、「原爆投下やその災禍に否定的な意味を見出すこと」や「責任の所在を人類や世界というカテゴリーではなく、国というナショナルな観点から模索すること」といった部分には光が当たらなくなることも同時に意味していた。(p39)

 

  3.平和記念都市としての復興ー地域主義的な普遍主義

①戦後広島市における復興資金の問題

②「原爆の災禍が普遍的な価値を持つことを理由に、政府に対して特別な援助を求めた」(p43)

→1949年5月10日、広島平和記念都市建設法案が長崎国際文化都市建設法案とともに可決

③原爆の災禍という「普遍的な価値」を強調するため、他の戦争被害地とは異なった「特殊性」・「地域主義」に立脚する必要があった

 

  4.普遍主義という作為

①「この普遍主義は占領体制の枠組みの中で、それに沿う形で展開されていた。広島市行政は占領体制に反対することなく、原爆の災禍について解釈を行い、国を超えた人類や世界といったより包括的なカテゴリーを用いた」(p45)

 

 

  第二章 原水爆禁止運動と広島ー人道主義と超政治的立場

  1.原水爆禁止運動と人道主義

アメリカのビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸の被災

→全国的な反原水爆の署名活動と組織化

②それらに影響を与えたのが東京の杉並協議会

→東京都杉並区で結成された組織

→「国民」「人類」「ヒューマニズム」というスローガンのもと、「政治運動化」することを回避

 

  2.運動の分裂と広島ー人道主義・原体験・超政治的立場

①広島の反原水爆組織である原水爆禁止広島県協議会広島県原水協)は「広島市行政や市議会も関与する半官半民の組織であった」(p58)

②全国的な盛り上がりを見せた原水禁運動の分裂

→1960年の安保闘争で各党派に分裂

原水禁運動に深くコミットしていた日本共産党日本社会党らのイデオロギー対立により大きく分裂

③「原水禁運動の混乱の中で人道主義は広島という「被爆地」に特有のもの、さらに言えば原爆の経験に密接に関係するものとして位置づけられていく」(p67)

④「もともと人道主義は政治的な立場と対置され、それを超える考え方や行動とされていた。しかし一九六〇年代の広島において、それは「原体験」と結びつけられ、広島という地域に特有なものと強調された。広島における人道主義は原爆の「原体験」に由来するという点で地域主義的であり、それは政治的な立場を超える立場ー超政治的な立場ーを志向するものであった」(p70)

 

  3.分裂後の核兵器反対運動ー超政治的立場の意味

①被災白書運動

→「単に核兵器反対を訴えるのではなく、広島・長崎に投下された原爆とビキニの水爆実験による人的な被害の全貌を解明し、その事実を公的な記録としてまとめ、国内外に伝えることで、核兵器の禁止を達成しようとした」(p72,73)

広島市や県外知識人の協力を得るも、「一般の人々からの強力な指示を得るところまではいかず」、当初の目的は達成されなかった(p74)

原爆ドームの保存

→元の名は「広島県産業奨励館」

→市民や知識人、財界人に加え、「分裂した広島の原水禁被爆者団体など十一団体による請願」という、「分裂以後初めての諸団体による統一行動」(p75)

→全国的な募金により費用を集め保存工事を実施した

③「あらゆる人々がそれぞれの立場を超えてまとまることが何よりも重視され」たため、「「原体験」の解明や記録、保存」へと焦点を変えることで政治的対立や分断を避けようとした。「政治を超えようとすることは、政治を避けることにもつながっているのである」(p77,78)

 

 

 第三章 原水爆禁止運動の分裂と広島市行政ー権力の拡大

  1.山田節男市政の発足

①山田は広島を「平和のシンボル」として世界に発信することは「世界的意義」があると考え、重要な観光資源としても活用できると考えていた

 

  2.平和施策の強化

広島市行政の一局として、広島平和文化センターが設立される

→主な業務は、「平和に関する諸問題の調査研究や情報誌・資料の収集、平和に関する事業の企画や実施の推進、平和関係の団体との連絡調査など」(p88)

 

  3 .広島市と社会運動の関係の変化

①会長や役員といった立場で広島の原水禁運動に深く関与していた浜井信三と違い、山田節男は「運動が複数の団体に分裂していることに対して批判的で」あり、「核実験に対する抗議電報や平和文化センターの創設」といった「広島市行政を母体として平和や核兵器反対に取り組むようになった」(p91)

 

  4.人道主義・非政治化・行政権力の拡大

①党派対立と分裂により混乱した第九回原水爆禁止世界大会

②「「祈り」が政治的な立場を持つ社会運動と対置され、前者が重視され後者が忌避されるように」なり、「政治的な立場を持つものを排除するという意味での非政治化が姿を表すようになる」(p97)

③「山田によって〜立場を超えて人々をまとめるために持ち出された人道主義は、まとまらないものに対する批判へと転換され、政治的な立場を明らかにする社会運動を排除する論理にもなり得たのである」(p99)

平和祈念公園の聖域化

→「静かな祈り」の重視

→政治的な活動の排除

→「この〜排除の境界線を引くのが、公園の管理者である広島市行政である。平和公園という空間に表れたのは、人道主義的な態度であり、非政治化であり、そして行政権力の拡大だったのである」(p105)

 

  5.普遍主義の力学

①「ヒロシマの普遍主義は政治的な立場を超える立場を志向する。しかし、それは政治的立場を避け、排除することにも通じ、行政権力の拡大を支えるものともなる。この点で、ヒロシマの普遍主義が引き起こす非政治化とはひとつの政治的な力学でもある。政治的なものを拒否し、避けることはひとつの歯車として、行政権力の拡大という他の歯車を動かしていくからである」(p108)

 

 

第二部 遺産化する被爆体験ー継承の力学

 第四章 被爆体験の遺産化ー被災の資料と記録の運動

  1.「被爆体験の継承」が求められるときー歴史的背景

①1960年代になり、世代交代による「被爆体験の風化」と、「原体験」(第二章)の強調により「被爆体験の継承」が注目を集めるようになる

 

  2.壊れたモノの意味ー原爆ドームと被災資料の保存

原爆ドームの保存について、当初広島市は消極的だった

→「保存の声が高まる以前には、原爆ドームを平和と結びつける論理は明確ではなかった」(p123)

②1960年代頃から、市の内外から保存を求める声が届くようになる

③「一九六八年は広島で「原爆被災資料ブーム」と呼ばれるほど、様々な原爆被災資料が発見された年でもあった」(p124)

 

  3.記録の意味ー被爆地図復元運動と原爆被災全体像調査

①原爆被災以前の広島市の戸別地図を復元することで、「原爆による人的な被害の全体像を解明しよう」とした(p127)

②個人の体験(点)をつなげ(線)、それを原爆被災地域へと広げる(面)試みであった

(後世へと伝えるための被災のデータ化(数値化)とも言えよう)

 

  4.遺産化の両義性

①「被爆体験を後世に継承する」とは、本来個別的であるはずの「被爆体験」を他者と「共有」しようとする、(原理的には)不可能な行いである

②そのため「被爆体験」に、「人類にとっての警告や教訓を見出すことによって、社会的には肯定的な価値を付与」できるようになる(p131)

→それは「広島市」や「人類」といった主体にとって価値が生まれる

→「「被爆体験」という集合的経験の遺産を管理し代弁するアクターとして広島市行政が姿を現す」(p132)

→遺産として重要性が認識されるも、「なぜそれを「人類の遺産」とすべきなのかが問われなくなる」という、遺産化による両義性(p132,133)

 

 

 第五章 継承の制度化ー体験を語る活動と教育

  1.体験を語ることの意味ー米山リサによる研究

①「今日の体験語りの活動は一九八〇代以降に組織化されたものであり、それは被爆者の抱える諸問題の解決や核兵器禁止を訴える社会運動のためというよりも、被爆者の体験を次世代に語り継ぐという「被爆体験の継承」を主な目的としている」(p137)

 

  2.継承と教育

①1960年代後半から始められる、広島市及び県による平和教育の取り組み

→目的は「被爆体験の継承」

原水禁運動の分裂に対して、「平和教育は政党のイデオロギーによる対立と混乱を免れることができ、分裂した原水禁団体の代表もともに参加できる場となっていた」(p142)

 

  3.体験語りの活動の形成

平和教育という背景のもと、1980年代に体験語り活動の組織化がおこる

→それまでの体験語りの目的は、原水禁運動の「盛り上げや被爆者の組織化にあった」(p142)

②修学旅行先としての広島

→「核兵器に反対する社会運動においてではなく」「一般の被爆者が教育のため語るという取り組みが生まれ」、「被爆者に語り手という新たな役割が与えられた」(p144)

平和教育という目的のもと「体験を伝えることに特化」することで、政治的対立や混乱を回避した(p152)

 

  4.語り手になること

①語り手として主体化

→社会からの「呼びかけ」(修学旅行での体験語りの依頼等)がある

→「被爆者による体験の語りが聞き手を感動させるのみならず、語り手にとっても励みとなり「使命感」をもたらす」、「こうした語り手と聞き手の相互作用」(p157)

→「「被爆体験の継承」という規範の存在、平和教育と広島修学旅行の展開、そして被爆者の語りに対する関心の高まりといった特定の社会的状況の中で生まれた「偶然」」が、被爆者が体験語りをする「呼びかけ」となった(p159)

②ただ、語り手は聞き手の求めを必要とするため、「語り手として「適切」あるいは「良い」と聞き手から判断される必要がある」(p163)

→語り手の、聞き手に対する従属構造

 

  5.制度化される語りー問われない「継承」

①修学旅行先として広島の需要が高まる

→業者任せ、事前学習なし、形骸化した「平和教育

②証言する機会が増えたため、「被爆者が学習した結果、その内容が彼らの語りに反映され、「被爆体験」という「証言者の生き様」が「話の一部」となり、それゆえに「証言の画一化」「機械化」が起こっている」(p167)

平和教育として制度化された被爆者の語りは、語り手と聞き手の相互作用によって語り手の学習と組織化が促進され、語りの「画一化」が引き起こされた

④だがその「画一化」を批判する時、「被爆者たちの間でどのように語るべきなのかが議論される一方、〜なぜ語るのかについては問われることがない」。「なぜ「被爆体験」を「継承」するべきなのかが問われていないということだ」。(p168)

 

  6.拡大する広島市の役割ーもうひとつの副産物

①体験語りおける広島市行政の存在の拡大

→市民の体験語り団体の高齢化に伴い、事務機能を備えた市の平和文化センターが主な窓口〜運営主体となる

原水禁運動の分裂の記憶から、「被爆体験の継承」から政治的なものを排除するという姿勢や、「「政治的に中立な」あるいは「政治的でない」行政を選ぶことが当然であったと考えられる」。「広島市行政の拡大の根底には「被爆体験の継承」という理念と実践に込められた非(超)政治的立場と行政の立場の間に親和性があるように思われる」。(p172)

 

  7.継承の力学

①「「被爆体験の継承」という理念と実践は「被爆体験」を遺産化するものであり、それは普遍主義の力学の中にある」(p173)

原水禁運動の分裂→政治的なものへの忌避→「原体験」「被爆体験」の強調→資料の記録や保存と平和教育→制度化と組織化を経た「被爆体験」という遺産の「画一化」

③「批判的な思考にもとづくならば、私たちはなぜ「被爆体験の継承」をしなくてはならないのかを問うことになる。原爆の体験を聞くのは、それが大事だからではなく、なぜそれが大事なのかを考えるために聞くのだろう。このように考えるならば、「被爆体験」を遺産として捉え、そしてそれを何の疑問なく継承しようとすることは継承にはならない。私たちは、思考の停止に抗うことを被爆者から学ぶことができることにもかかわらず、「継承」を規範としてそのまま受容することは思考の停止を支えてしまうことにもなるのだ」(p175)

 

 

第三部 生きている原爆ー暴力の力学
 第六章 傷と痛み
  1.熱戦による外傷と被爆
①著者が取材した2名の被爆者の被爆当時の状況と、現状の症状について

 

  2.痛みと身体
①「原爆の熱戦がもたらした熱傷、そしてそこから生じたケロイドは、被爆者の身体に今も痛みを引き起こし〜今=そこにある〈原爆〉の存在を知らせるものでもある」(p188)
②「被爆前には自由に動かせていた身体は、原爆によって姿を変え〜自由に動かすことができなくなり、〜このような自分の自由がきかない身体を「自分の身体」として捉えることができない」(p191,192)

 

  3.「汚い」身体ー外見の変化
①「外見の変化が被爆者の性格の変化を引き起こす要因のひとつには他者からの視線がある」(p200)
②「周囲の人と自分の間にはどうすることもできない境界線があり、周囲の人々にとって自分こそが他者であることを痛感するようになる。ケロイドを持つ被爆者にとっては、自分は他者とは異なる存在ー被爆者ーになるしかないのである」(p201)

 

  4.自分の身体、自分ではない身体ー今=ここにある〈原爆〉
①ケロイドによって生まれる分割線、「きれいな身体」「当たり前の身体」と「醜い身体」「汚い身体」
→他人と自分の分割であり、被爆前の自分と被爆後の自分の分割であり、ケロイドのある身体部位とケロイドのない身体部位の分割である
②「ケロイドは〈原爆〉のしるしであり、被爆者にとって今=ここにある。それは被爆者の身体を変容し、痛みを引き起こす。ケロイドのある身体は、被爆者にとって、何十年を経たとしても(自分の身体でしかないにせよ)自分の身体にはなりえない。ケロイドを持つ被爆者の生は〈原爆〉によって変えられた生である」(p201)

 

 

 

 第七章 ホウシャノウが現れるとき

  1.放射線の人体影響をめぐる科学的知識とその性質
①「放射能」と「放射線」について
→暖炉で炭が燃えている状況で、炭から出る暖かい熱(線)を「放射線」、その熱(線)を出す能力のことを「放射能」、と例えることができる
②「疫学による調査結果が人々に提示するのは可能性(Possibility)である。〜中略〜可能性は一種の余白を生み出す。可能性である以上、それは確定された答えではない。ある病気になったときに、それは放射線の影響ではないかもしれないが、反対に放射線が原因がもしれないのだ。可能性が持つ余白には、人々の解釈が入り込み、展開されていく」(p211)

  2.ホウシャノウが現れるときー異常の原因

①「被爆者にとって、ホウシャノウは体内に異物としてあり続けるが、何もなければそれほど意識されることはない。だが、がんなどの異常が実際に起きるとホウシャノウは強く意識されることになる」(p213)

 

  3.被爆者の論理ー東友会の被爆者調査を事例として

①自分の被爆経験、科学的医学的な知識、周囲の人との比較、被爆者同士の状況等を総合的に判断する
②「ひとつひとつの出来事という点が一本の線となり、「偶然」という言葉では片付けられず、ホウシャノウが原因ではないかという疑念や確信に至るように思われる」(p220)

 

  4.可能性をめぐる不安と苦悩ー遺伝的影響

①「被爆者にとって不安はその時々に変容する動的なものであり、とくに知識や情報と自分自身の経験によって変わっていくものであった」(p226)

 

  5.終わらないホウシャノウ

①解釈の余白をもつホウシャノウに対する意識は、自分や周囲の親族知人の状態に影響を受けながら更新され続けている
②「被爆者にとってホウシャノウとは常に意識されるわけではないが潜在し、何か異常があれば意識に現れるようなものである。ホウシャノウの影響は更新され続け、終わることはない。被爆者にとってホウシャノウは自分に生涯つきまとう〈原爆〉なのである」(p230)

 

 

 第八章 死者とともに生きる

  1.死者の声とまなざし

①「死者や死にゆく者たちの声、顔は、生き残った被爆者たちに刻まれる。それは主体的に「思い出す」というよりも、強烈に「残っている」ものである。そして、被爆者は自身に刻まれた死者の声やまなざし、表情、そして姿をどうすることもできない」(p237)

 

  2.死者という重荷と責務

①「死者の存在はしばしば被爆者が背負わなくてはいけない重荷となり、責務となる。死者に対する罪意識と自責の念は被爆者にのしかかり、彼らは死者のために何かをしようとする。〜死者という重荷を背負った被爆者はその責務とともに生きざるをえないのである」(p246)

 

  3.死者との関係性を生きるー「生き残り」の戦後史

①「彼女にとって、生き残ったことは生き残らなかったことと一枚のコインの両面であった。そして「『生き残り』としてじゃなくて生きたかった」という梶田の言葉には、「生き残り」であることが彼女にとって肯定的なものではないことが表れている。「生き残り」として死者の存在を背負って生きることは、梶田にとって、「寂しい」ことでしかなかった」(p250)

②「梶田と亡くなった同級生との関係は、〜「生きた人と死んだ子たち」の間を「行ったり来たり」することで〜、死者の存在は未だにともに生きる存在であって、語ったり意味を与えたりするような対象とはなっていないのである」(p256)

 

  4.死者とともにある生

①「被爆者にとって死者の存在は原爆によってもたらされたものであり、〈原爆〉を指し示すものである。〜原爆によってもたらされた人々の死はその者たちの死で完結するわけではない。亡くなった者の生はそこで止まれども、彼らは死者として被爆者とともに生きている」(p258)

 

 

 終章 反原爆の立場ーもうひとつの普遍主義

 ①「ヒロシマの普遍主義は、国内の社会状況や国際関係を背景として広島という地域で形づくられ、それ固有の力学を有し〜非政治化という副作用を持つことであった」(p263)

②だが、非政治化によって引き起こされたことは、「広島市行政の事例のように実際にはひとつの政治的な力学の中に」留まり続けたことであり、「「被爆体験」から学ぶのは「平和の大切さ」や「戦争や核兵器の愚かさ」といった抽象的な理念にとどまり、そこから具体的に何をどうすべきなのかを自ら考えていくことはしなくなる」ことである(p264)