2023年1月に読んだ本

 

「高台から何もなくなった町の様子は見えました。それを見て突っ伏して何も動けなくなった同僚、泣き崩れた同僚がいました。彼らの家があった場所だからです。どうしても家を見に行くと言った人もいました。気絶したように倒れた人もいました。突然、大きな声を出して泣く人もいました。みんな、地元の人です。

職場は先が見えない大事故のリスクを抱え、家族がいるはずの場所、家があったはずの場所はなくなった。「原発事故の訓練はしていたのか」とよく聞かれるのですが、事故が起きたあとの作業員のメンタルまで想定した訓練はしていませんでした」(p222,223)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東京を初めて訪れたのは、大学受験の時だった。受験の下見のために街を歩きながら、東京はなんて緑が多いところなんだろうと思った。広島の市街地ではこんなに大きな樹木を見たことがない、と街路樹を見上げた。大都市だから植物を大切にしているのだろうかと不思議に思い、しばらく考えを巡らして気づいたのは、広島の市街地には樹齢を重ねた木がほとんど存在しないという事実だった。その理由ははっきりしてる。原爆だ。広島では、ときおり原爆投下を乗り越えて生き延びた被曝アオギリの保存や、焼け野原の中で最初に咲いた花としてキョウチクトウが話題になることがあった。つまりは、それ以外の木々は、街と一緒に消滅してしまったということだ」(p50)

 

「戦前を思わせる建物も、ほとんど残されていなかった。戦前に遡る、いわゆる老舗と呼ばれる店も見かけた記憶がほとんどない。武家屋敷の存在も聞いたことがなかった。他の街にはあるものが、広島の街にはない。ただ、ないというだけではなく、その存在さえ意識したことがなかった。そうした戦前の街並みが存在しないという前提で、私の中の広島の記憶は作られていた。忘却とは違う、あらかじめそれらが不在だったのだ」(p51)

 

 

認知症と診断される前と診断された後、症状はあってもその人自身は変わらないのに、家族の関係は変わってしまいます。どのように変わるかというと、ほとんどの家族と当事者は主従関係になっているように感じます」(p94)

 

 認知症当事者は年齢や症状の進行具合、または人間関係によって一人一人のコンディションは様々である。にも関わらず認知症と診断された瞬間、これまでの活動からは「危険だから」と遠ざけられ、ちょっとしたミスをすれば叱られるか過剰に心配される。それまでは対等にコミュニケーションを取っていた家族からも、劣った存在として扱われる。そうした環境からストレスが溜まり、例えば怒りの感情を表出させると、それは認知症の症状として処理される。周囲の監視から逃れようと一人で出かけると「徘徊」として対処される。

 このように、病名がつけられると当事者をステレオタイプな「認知症患者」に押し込め、当人の自立性を奪うような過剰な「気遣い」が生まれることになる。そうした悪循環を減らすため、著者は当事者の意思に耳を傾け、当事者のできることややりたいことを後押しし、できないことを練習させたり叱ったりせずにサポートすることの重要性を指摘する。認知症という、健常者とは別カテゴリーの存在者としてではなく、ハンディを抱えた私たちと同じ一人の人間として尊重することが、当事者とその家族やサポーターの関係性を良好に保つことにつながるからだ。

 

 

 

・「わたしたちは、国家成立以前の祖先の敏捷さや適応力の度合いを過小評価してきたに違いない。そうした過小評価が積み重なって文明の物語となり、そこから、狩猟採集民や移動耕作民や遊牧民をほとんどホモ・サピエンスの亜種と見て、それぞれが人類の進歩の各段階を示していると考えてきたのだ。しかし歴史的な証拠は、人びとが、こうした特徴的な生業様式のあいだをいとも簡単に行き来してきたことを、そして実際には、そうしたものを組み合わせて、肥沃な三日月地帯をはじめとする地域で、独創的なハイブリッドの生業様式をいくつも作り出していたことを示している」(p57)

 

・「すでにいくつかの雑草や豆類を作物化し、ヤギやヒツジも家畜化していたメソポタミア沖積層の人びとは、その時点ですでに農耕民であり、かつ遊牧民であって、狩猟採集民でもあった。要するに、採集できる野生の食物がふんだんにあり、毎年水鳥やガゼルが渡ってきて狩りができているあいだは、わざわざリスクを冒して、労働集約的な農耕や家畜の飼育に大きく依存する理由はーーましてやそれだけに依存してしまう理由はーーまったく考えられなかったということだ」(p58,59)

 

・「社会進化の研究者のあいだで一時好まれた理論化の方法では、農業が「遅延リターン」の活動であることを理由に、重要な文明上の飛躍として描きだされた」「なぜなら、畑を準備する段階でずっと先のことを見通して、種を播き、作物が成熟していくのに合わせて雑草を抜き、手入れをして、ようやく実りが得られる(と期待している)からだ」「この主張の間違いは〜狩猟採集民の戯画的な描き方にある」。狩猟採集民は周囲を歩き回り偶然出会った野生動物を狩るだけの「即時リターン」活動だという描き方が受容されてきた。しかし「渡りをしてくるガゼルや魚類、鳥類などを対象とした大規模な捕獲では、協働での入念な事前準備が必要だ。仕留める場所まで長くて細い「追い込み道」を作らなければならない。堰や網や罠を作らなければならない。獲物を燻製、乾燥、あるいは塩漬けするための施設を作ったり、穴を掘ったりしなければならない。どれもずば抜けた遅延リターンの活動だ。道具や技術もたくさんそろえなければならないから、農業で必要とされるよりもはるかに高度な調整と協働が必要となる」(p61)

 

・「もし、ホモ・サピエンスが歴史上最も成功し、数の増えた侵略種だとするなら、その(怪しげな)達成は、飼いならされた動植物からなる大連合部隊を、地上のあらゆる場所に同行させたことが理由だ」(p73)

 

・人類史において、人間とともに生きてきた、または人間の家畜とされてきた期間の長い「イヌ、ヒツジ、ブタの場合、脳の部分で最も影響を受けたのは海馬、視床下部、下垂体、扁桃体などの辺縁系で、ここはホルモンの活性化のほか、脅威や外的刺激に対する神経系の反応を担当している。辺縁系が縮小すると、攻撃、逃走、恐怖を引き起こす閾値が上がる。このことが、ほぼすべての家畜種の病的な特徴の説明に役立つ。つまり、感情的な反応能力が全般的に落ちているのだ」「物理的な保護と栄養が確保されているのだから、家畜化された動物は、野生の近縁種のように、つねに身近な環境に警戒しておく必要はない」(p76)