Ⅰ 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学 第一部 超越論的分析論 第二篇 原則の分析論 序論 超越論的判断力一般について(pp330〜336)
を分かる範囲で読んでみる。
まずは様々な用語をまとめてみると、
“一般論理学”:概念、判断、推論 → 形式的、内容を捨象(対象に関わらない、思考だけで完結する)
“高級認識能力”:悟性、判断力、理性 →ア・プリオリな純粋認識に関わる(対象にア・プリオリに関わる)
・高級認識能力 の悟性=「概念の分析論」で論じられる
・高級認識能力 の判断力=「原則の分析論」 ←ここを論じる
・高級認識能力 の理性= 「超越論的弁証論」で論じられる
のようになるかと思う。
この第二篇では、第一篇「概念の分析論」で示された純粋悟性概念(カテゴリー)を、現実の諸対象にどのような原理のもと適用するか(=高級認識能力の判断力)を示すことが目指される。
〜原則の分析論はもっぱら判断力にとっての基準となるのであって、この基準は、ア・プリオリな諸規則のための条件を含んでいる諸悟性概念を諸現象へと適用することを、判断力に教えるのである。(p332)
言い換えれば、「ア・プリオリな 諸規則のための条件を含んでいる諸悟性概念」=カテゴリーを、現実の対象へと適用する基準つまりは判断力の基準がこの第二篇「原則の分析論」で示される、ということになる。
では判断力とは何か。
悟性が総じて規則の能力として説明されるなら、判断力は規則のもとに包摂する能力、言いかえれば、はたして或るものが或る与えられた規則に従うもの(与えられた規則の辞令casus datae legis)であるのかどうかを区別する能力である。(p332)
「ソクラテスは人間である」という命題において、ソクラテスという対象は人間という上位概念に包摂されるという構造を言うに留まる一般論理学に対して、主語のソクラテスがどのような原理によって人間という上位概念に必然的に包摂されるのか、を示すのが高級認識能力の判断力、すなわち超越論的判断力となる。
加えてこの後の第一章、第二章で、
第一章、「純粋悟性の図式機能」:純粋悟性概念がそのもとでのみ使用されうる感性的条件(p336)
第二章、「純粋悟性の原則」:これらの諸条件のもとで純粋悟性概念からア・プリオリに生じ、だからその他すべてのア・プリオリな認識の根底にある総合的判断(p336)
が語られることが予告される。