現代のインド社会で暮らす貧困層の人たちに著者の体当たり取材の記録が収められている。その生々しい描写に衝撃を受ける人は少なくないだろう。
が、そのこととは別に個人的に引っかかったことを書くと、
第一部で作者は、路上の物乞いでの稼ぎを増やす目的で子供達を傷つけ障害児とするマフィアたちとコンタクトを取り、取材を重ねる。その過程で自己の正義心からマフィアに対して声を荒げる場面がある。
「あんた、本当に奥さんに体を売らせているのか」~
「そんな気持ち悪い笑みを浮かべてごまかそうとするな。言い訳しながら、常に金だ金だと同じことばかり言いやがって。金以外のことを考えたことがないのか」(p85)
マフィアに対してそう詰め寄る作者に、マフィアの娘が立ち向かう。
「パパをいじめないで!あんた、何様のつもりよ」
唇を噛みしめて睨みつけてくる。
「目を覚ませ。お父さんは、君やお母さんを利用しているんだぞ」と私は言った。
「そんなに言うなら、あんたが私を育てればいいじゃない。パパの悪口を言うぐらいなら、あんたが代わりに私を育ててよ!」(p85)
作者はこの言葉に絶句し、お金を受け取ることなく立ち去るマフィアたちをただ見つめるしかなかった。
この一部始終だけでなくこの本全体に見られるのは、作者の現地の人たちに対する倫理観の押し付けだ。自己の道徳感情を迸らせ、自らの正義感に任せた行動と言動が多くの現地の人々を混乱させることで、幾人もの人を傷付ける原因/遠因となる場面が散見される。
もちろん私たちと別の境遇で生きている人たちと接触するということは、ある一定の影響を彼らに与えずにはおかない。そうまでして得られた情報は、それが私たちの一般的認識と遠く隔たっているほど貴重な資料となることは間違いない。
ただ、影響を及ぼすことが不可避的であるならば、なんとかその影響を最小限に留めることが情報を与えてくれた彼らに対する最低限の礼儀ではないのだろうか。
観察者である私たちにとってどんなに違和感のある出来事も、その場所においてはある一定の意味合いを持っているかもしれない、そんな想像力を絶えず巡らせることは必ずしも異郷の地だけで求められるものではなく、日常の様々な場面ですら求められる基礎的な態度だと思うのは私だけだろうか。
もしここで語られている作者の行動/言動に作者自身がなんの反省点も見いだすことができないのであれば、このような現地入りの取材は控えられた方が良いのではないかということを思ってしまった。